クレジットカードの暗証番号を忘れた

ネットでの買い物は別として日常的にはあまり積極的に使ってこなかったクレジットカードを、できるだけ使ってみようと思い立ちました。

これには「風が吹けば桶屋が」のような訳があります。

まず手元のパソコンの調子がおかしくなってきました。ハードディスクか CPU かマザーボードか。それらを新調して、ついでに OS もインストールし直すことにしました(Debian Wheezy)。

すると VMPlayer で Windows XP がエラーも表示せずに起動しなくなりました[1]。この Windows はほぼ会計ソフトのためだけに使っていたのでした。

会計ソフトさえ何とかなれば Windows からすっかり解放されます。そこで Debian で GnuCash を試してみることにしました。

GnuCashのテンプレートで、勘定科目クレジットカードが「負債」の中にありました。なるほどこうしておけば管理もたやすいね、これまでは混乱しそうでカード使用を避けていたところもあったな、と思い至り、これからは逆に積極的にカードを使ってみよう、と考えたわけです。

閑話休題。

いつの間にか世の中は IC カード対応が進んでいて(そりゃそうだ。更新で手元に送られてきたカードもそうなっています)、入力パッドでの暗証番号の入力を求められます。が、複数のカードを所有していることもあり、記憶を手繰って2回試しても合致しません。これ以上やるとややこしくなると思ってあきらめ、その場は署名に切り替えてもらいました(レジで後ろに並んでいた人、ごめんなさい)。

カードの裏に電話番号が記載されているサポートデスクに「暗証番号を忘れました」と連絡しました。住所やら生年月日やらで本人確認され、暗証番号は郵送するとのこと。数日後、普通郵便で暗証番号の書かれた通知が届きました。暗証番号はそのまま書かれており、カード番号は半分ほどが伏字になっています。書留や配達記録でもないのかと、ふと不安を感じましたが、考えてみるとこれはクレジットなのです。もしこれに起因する事故(つまり不正使用)があったとしてもカード会社(または販売店)がその責を負うだけです。その確率とコストを衡量して普通郵便で配送しているのでしょう。

さてこうして、なるべくカードを使おうと決心をしてみたものの、ふだんの買い物は安さ優先のドラッグストアなどで、そういう店ではカードは使えないのでした。やれやれ。

  1. 後に原因が判明しました。ハードディスクの物理パーティションをマウントする設定にしていたのです。ハードディスクも交換して当該パーティションが存在しなくなっており、そこでこけていました。VM の設定でこれをはずすと起動するようになりました。

2台所有する自動車の1台を手放すとき、保険は等級の高いほうを残すことができる

運転する人間が減ったので、これまで2台所有していた自動車のうち今月で車検切れとなる1台を手放すことにした。

ふと気づいたのが自動車保険(任意保険)。車の所有者はどちらも僕で、今回処分するほうは17等級、残すほうはあとから追加したので11等級、同じ保険会社で複数所有割引になっている。このままだと次年度は11等級の次の12等級の掛け金を払うのか? 17等級の保険を残して引き継ぐことはできないのか?

そこで保険会社に電話してみた。FAQ というわけではないらしく、はじめに電話に出た人には「解約のお手続きですねー」と軽く流されそうになったが、よく事情を話すと「専門の担当に回します」。その担当の人も「調べてから折り返し電話します」ということになった。

30分ほどして電話がかかってきて、「できる」とのこと。17等級のほうの契約車両を今回手放すものから残すものに変更する手続きと、11等級のほうを解約(中断)する手続きの両方を行うことになるようだ。複数所有割引は当然に解除となる。「中断」というのは、10年以内にまた別の車を所有することになったら新規の6等級や7等級からということではなく、この11等級を引き継げるというもの。その可能性はないわけではないのだから「中断」、つまり中断証明書を発行してもらうことにしよう。

余談だが、この「中断」という制度は以前からあったのだろうか? ずいぶん前のことになるが学生の頃にも長く車に乗っていて、就職して東京に出るとき手放したのだけれど、そのとき「中断」して後に継続していたらもうとっくに最上級になっていただろうに、当時さっぱりそんな話を聞いたことはなかったな。

ひとり親家庭に対する行政の支援

児童扶養手当

さて、父ひとり子ひとりの家庭となったわけだが、近くに祖父母や親戚もなく何かと心もとないため、市役所のページをいろいろと見て、まず福祉事務所に相談に行くことにした。さっそく「児童扶養手当」の説明を受けた。が、手続きはすぐには進まない。

まず、別居の事実の確認がなされなければならないらしい。元つれあいの住民登録が別のところになされていることは、役所内なのでその場で確認がすんだ。実態としての確認は民生委員の訪問を受けその報告が必要とのこと。最初の日はこれでおしまい。

民生委員の連絡先を教えられ、こちらから電話してアポイントをとらなければならない。なるほど『偽装離婚』を見分けなければならないのだろうが、これはけっこう心理的ハードルが高い。うちは円満?離婚だからまだいいが、もっと厳しい事情の人はよほど大変だろう。よくある話だが、民生委員は顔見知りの方だった。いっそ同じ町内の町会長あたりだとよかったのだが(町内会の役を辞めざるをえないため、家庭内事情を説明しないわけにはいかなかったのだ)、隣の町の微妙な距離感の方だったのでバツが悪い。数日後に来訪を受け、その後半は民生委員の愚痴(守秘義務はあるわボランティアだわまったく引き受けたくないもんだね、的な)を聞いて、確認の書類に署名をもらって終了。

さらに日をあらためて再び福祉事務所の窓口へ。その場で数枚の書類に記入していく。何度も何度も住所と名前を書く羽目になり、ひとつ書いたら済むようにならないもんですかね、と言ったら、「以前は窓口そのものがあちこちで、たらい回しだったんですよ。ここだけで済むようになってこれでもまし」といった答だった。そう思えば確かにここだけで済んでありがたい。

児童扶養手当の申請は受理されたが、決定まではしばらく時間がかかるとのこと。それにしても、つい数年前までは父子家庭ではこれを受けることができなかったとは驚きだ。やってみればわかるが、たとえ男親であっても働き方は著しく制限されるし経済的な影響は大きい。先人たちの労苦によってこの道が拓かれていてほんとうに助かる(とはいえまだこの時点ではうちの受給は決定していないのだけれど)。

医療費助成

たくさん書いた書類のひとつが医療費助成の申請。うちの自治体では小児医療費助成の対象が9歳までなのだが、ひとり親家庭だとこどもは18歳まで助成されるし、その親にも助成がある。

実際、親である僕がこれらの手続きの最中に風邪をひいてしまい病院に行くことになったのだが、ひとり親家庭の始まった日まで遡って申請できるとのことで、助かった。

広い世界に触れてみなされ

Jetpack by WordPress.com プラグインで Youtube の画を埋め込んでいるのだけれど、説明どおりにやっても小さくできない。縦は縮むのに横幅はそのまま。別の環境で見るとまたちがうのだろうか。【追記】原因がわかったので修正した。

閑話休題。

1年半ほど前にどこかで Goosehouse という集団? を知ってから妙に気に入って、 Youtube でよくこの人たちの演奏を見ている。ずっと過去まで遡って、その前身の Playyouhouse 時代のものまでつい見てしまうのだが、そんな僕にとってベスト3にはいるのが関取花&齋藤ジョニー「汽車のうた」だ(もう2人とも Goosehouse を卒業してしまったけれど)。

2人の声とギターをたぶん1本のマイクで一発で録ったであろうに、このうまさと迫力は何であろうか。シンプルなメロディが耳に残る。

そういうわけで今日もまた Youtube を見ていると、ふと「あなたへのおすすめ」に、関取花「むすめ」とある。テレビの CM らしいが、めったにテレビを見ないどころかつい先日までテレビが映りもしなかったので、まったく知らなかった。

これは効いた。

こういう唄はきっと聴く者の心持ちによって聞こえ方が違うのだろうと思う。もし1年前に聴いていたらここまで心にしみることもなかったかもしれない。僕がこの唄のような言葉を贈るのはまだずっと先のはずなのだけれど。

陽気に行こう

2人暮らしが始まった。

ただし3人から2人へ。4歳の娘とその父である僕の。

正直に言って不安は大きい。これまでは大人が2人いたから、もう1人に声をかけてちょっとした用で出かけることもできたが、4歳の子はまだ留守番もできないのでそれもできない。時間配分もどうしたらいいのか。スウちゃん(仮名)が保育園から帰ってきてから寝るまでは僕の自由になる時間はほぼなくなるだろう。これから試行錯誤だ。

さて心配ばかりしていても仕方がない。この暮らしを楽しむことにしよう。

(はて、Youtube の画を小さく挿入したいのだけれどうまくいかないぞ。これでは大きすぎる)

本当は、プライベートなことばかりだろうし、ここにこういうものを書くのはどうかという気持ちもある。それでも一方で、どこかの誰かに読まれるかもしれない、という状態に あえてしておきたい気持ちもある。というのは、この2人暮らしは「密室」になりがちなのだ。

だから、ひとつは誰かが見てくれているかもしれないという気に自分をさせることで「密室」化しないように、もうひとつは僕の「ガス抜き」となるように。