y の増加量は x の増加量の何倍

まとめ

記事がとても長くなったので、最初にまとめを示しておく。

中学校の数学で、

  • 1次関数の「変化の割合」の学習の箇所に、「y の増加量は x の増加量の何倍」なる表現は必要か否か

利点よりも誤解を生む弊害のほうが大きいので不要、むしろないほうが望ましいというのが私の考え。

  • 「単位を外に付ければ x や y は「値」のみなので無次元」的な概念の是非

1点めを掘り下げているうちに明らかになった、中学数学全体に及ぶような大きな問題。そのためここで述べてもどうにもならないような気もするが、生徒たちは先(高校や大学、実社会)にも横(他教科、特に理科)にも進んでいかなければならないことを思えば、どちらにもつながらないこのような局所的な概念はないほうがいいというのが私の考え。

入試問題

きっかけは、中学3年生向けのワークブック(学校で全員が買わされるやつ)をたまたま見たことだった(私がそれを見てこの記事を書いているのは2023年11月)。そこに掲載されていた問題の出典は、京都府の高校入試問題(平成31年度 京都府公立高等学校入学者選抜 中期選抜学力検査 検査3「数学」の大問4)であることがわかった。

【4】 自転車に乗っている人がブレーキをかけるとき、ブレーキがきき始めてから自転車が止まるまでに走った距離を制動距離といい、この制動距離は速さの2乗に比例することが知られている。太郎さんの乗った自転車が秒速 2 m で走るときの制動距離は 0.5 m であった。
(1) 太郎さんの乗った自転車が秒速 x m で走るときの制動距離を y m とする。y を x の式で表せ。また、x が5から7まで変化するとき、y の増加量は x の増加量の何倍か求めよ。

解答欄は2つの枠があり、1つめには「y =    」が印刷されていてその後の空欄を埋めるようになっており、2つめには「    倍」が印刷されていてその前の空欄を埋めるようになっている。

何がおかしいか

私がおかしいと感じるのは問題文後半の「◯倍」を答えさせる部分だ。

y の増加量は長さの次元を持つ。x の増加量は速さの次元を持つ。問題文では「x が5から7まで変化するとき」と、あたかも無次元量のような表記になっているが、問題文前半から x、y がそれぞれ速さ、長さの次元であることは明らかである。そもそも次元の異なる2つの物理量の倍率を問うこと自体がナンセンスである。たとえるならば「5 kg は 1 m の何倍か」という表現と同等であり、意味をなしていない。

出題者は「x の増加量に対する y の増加量はいくらか」と問うべきところを、単なる日本語の間違いで「y の増加量は x の増加量の何倍か」と書いてしまったのだろうか。それを指摘することは揚げ足取りに過ぎないのだろうか。

出題者の意図

その旨を問い合わせたところ、京都府教育庁指導部高校教育課より回答があった。

本問については、まず自転車の速さをx(m/秒)、制動距離をy(m)として、xとyの関係を式で表現させています。そのxとyの関係式について、xの増加量とyの増加量を比較させる問題です。

この、xの増加量とyの増加量を比べることについて、単位の異なる2つの物理量を比較させているというご指摘ですが、x、yのそれぞれの増加量を比べているものであって、単位の異なる2つの物理量を比べているものではありません。

(京都府教育庁指導部高校教育課)

回答の内容は、私には意味不明としか言いようがない。

「物理量」「次元」という言葉がわかりにくいのであれば、「ある単位で表される値」とでも読み換えてもらっていい。それでも私の指摘するところは変わらない。

x が [m/s] で表される値ならば、「x の増加量」もまた [m/s] で表される値である。同様に、「y の増加量」も [m] で表される値である。単位の異なる2つの値を「◯倍」と表現することは、日本語ではあり得ない。

もし問題文が「x の増加量に対する y の増加量はいくらか。」または「変化の割合はいくらか。」であれば、変化の割合は有次元でもかまわないので「3/2」と解答できるが、問いが「何倍か」で解答用紙の欄に「倍」と印刷されて限定されているのであれば、答えるべき数値は無次元量でなければならず、この問題の場合は解答不能である。

問題文では「x が5から7まで」と、この箇所にはあえて単位を書かずあたかも無次元であるかのような表現になっている。しかし、問題の前段で求める係数 1/8 は、x や y がその次元(単位)だからこそその値になる。x の単位を [m/s] としたときのものであって、単位が異なれば値は変わる。試しに速さを [km/h] にして係数を求め直してみれば明らかだ。x や y の値は単位と切り離されておらず、式に現れる係数もまた同様である。したがって正答例 3/2 は、明らかに [m] と [m/s] の比であって無次元ではなく、「倍」と言うことができない。

この回答を見ると出題者は単に言葉「倍」の使い方を間違えたのではなく、実は確信的に、「xの増加量」を本当に無次元量だと思いこんで、「倍」を使ったのかもしれない。

私立高校入試問題

ここで補足的に、別の高校の対応について記しておく。

京都府に問い合わせて回答を待つ間にこちらでいろいろ調べているうちに、本件とほぼ同じ問題が2021年度にある私立高校入試で出題されていたことを発見した。(ここまでそっくりの問題を出題することの是非は、私は第三者であり当事者間の許諾などを関知していないため、ここでは触れない。)

その高校にも同様の問い合わせをしたところ数日後に回答があり、曰く、「出題ミス」と判断し過去問題を掲載していた箇所にその旨を掲示する、とのことであった。

教科書の記述

さて、京都府教育庁指導部高校教育課からの回答には続きがあって、

実際に、当時の教科書においても、次のような記載があります(東京書籍『新編新しい数学2』P58)。

「1次関数の値の変化についてで「電気ポットでお湯を沸かすとき、熱し始めてからx分後の水の温度をy℃とすると、y=5x+20となることがわかりました。
  xの値が4から6まで増加したとき
  xの増加量は 6−4=2  yの増加量は (5×6+20)−(5×4+20)=10
 yの増加量はxの増加量の5倍になっている。
すなわち (yの増加量)/(xの増加量)=5
xの増加量に対するyの増加量の割合を変化の割合という。」

以上のことから、解答不能とは考えておらず、出題ミスとも考えておりません。

(京都府教育庁指導部高校教育課)
当時の教科書(平成27年検定済「新編 新しい数学2」東京書籍)

と書かれていた。

入試問題では明らかに「速さ毎秒 x m、距離 y m」と記しているので「y の増加量は x の増加量の何倍」という表現は誤りである。それに対して教科書では、ページの上段の「Q」と下段の「例1」のつながりをどの程度と見るかで判断は分かれるだろう。「例1」と区切っていることから、ここは具体的事象から切り離して数学的記述のみと見ることもできる。そう見れば、「y の増加量は x の増加量の5倍」という表現も一概に誤りとは言えない。

しかし、上段にある式をそのまま使っているこのページの構成からして、大半の読者は、上段の具体的事象について述べていると理解するのではないか。実際、入試問題作成者までがこの表現に影響されて、「速さ毎秒 x m、距離 y m」のように具体的な単位で表される値にまで「何倍」を用いてしまったではないか。

新版の教科書

令和2年検定済「新しい数学2」東京書籍

ちなみに2023年時点の現行の教科書(令和2年検定済「新しい数学2」東京書籍)では、具体的事象が消え、数学的な記述のみに変更になっている。確かにこのページだけ見れば「y の増加量は x の増加量の◯倍」という表現も誤りとは言えない。

しかし、このページ内での矛盾はなくなり旧版よりましになったとは言え、前後には具体的事象の例題・練習問題が多くある。また、1次関数は特に日常的事象や他教科(特に理科)の内容とも密接に関わる。x や y が具体的な単位で表される値になれば意味をなさない「y の増加量は x の増加量の◯倍」という表現は避けるべきであろう。

「変化の割合」に誘導するステップとして、「y の増加量は x の増加量の◯倍」の表現を置くことが生徒にとって助けになるとの判断があったのかもしれない。しかし、検定済7点の教科書を見比べてみると、これを抜きにしても変化の割合を丁寧に教えているものも存在する。

生徒だけでなく教師や入試問題作成者にすら上述のような誤解を与える弊害があることを考慮すると、この節に「y の増加量は x の増加量の◯倍」という表現は用いないほうが望ましい。

教科書出版社の回答

そこで東京書籍に問い合わせてみたところ、次のような回答があった。

数学の世界で関数を考察しておりますので、「y の増加量は x の増加量の◯倍」の表現は問題ないと存じます。

また、数学の世界に落とし込むときに混乱が生じないよう、文字のおき方も次元を持たない表現にしています。例えば、平成27年検定版の58ページのQでは
  「x分後の水の温度をy℃とすると,」
と表現してあります。次元を含んだものを計算することはできないため、無次元になるように定義しております。

(東京書籍 担当部門)

私の知る「無次元」は上述のとおりなのでやや面食らったが、どうやら中学数学ではこのように解釈するらしい。どうにか意図を読み取ると、文字とは別に単位を書いておけば x や y は無次元ということか。

この理屈でいくと、「x分後の水の温度をy℃とする。x+y はいくらか。」といった設問も可能ということになってしまう。ここまで露骨なものは実際にはないだろうが、極端な例を挙げている。

平成27年検定版58ページは、はじめに具体的事象が例示された後に式が示されその後に「何倍」とあるから、多少複雑になっているとは言え、ここに挙げた極端な設問と構造的には同じだ。やはり実感としてはおかしいと言わざるを得ない。

私のような者は「x分後の水の温度をy℃とすると,」を「x とは時間を分で測った量であり、y とは温度を摂氏で測った量であると定義する」という意味に理解する。むしろ無次元とはまったく逆である。私も当然、中学校の数学を通過した者だが、いつから現在のような感覚になったかは自覚していない。いずれにしろ、学校数学は世間一般の感覚からずれているように思う。

抽象化と具象化

「倍」という表現からいったん離れて、もう少し低学年で学習するであろうところに話を移してみる。

小学校低学年あたりの算数では「抽象化」の理解に力を注いでいるだろう。たとえば

(a) りんご5個とりんご2個、合わせていくつ。
(b) トラック5台とバス2台、合わせていくつ。
...

から、抽象化した 5 + 2 = 7 を理解させるような。ここまでできたら、「6 + 3 = 9 からお話を作ってみましょう。」が理解度を測る一つの方法だろう。

(a') バナナ6本とバナナ3本。合わせていくつ。
(b') コミック6冊と絵本3冊。合わせていくつ。

もし中途半端な理解であれば、

(x) 重さ 6 kg と長さ 3 m。合わせていくつ。

という誤ったお話(「具象例」)を作ってしまうかもしれない。

いろいろ検索して回っているうちに次のような論文を見つけた。

現行の算数科では概念の把握には助数詞または単位をつけた数 (名数) を考えるが,これを式で表現するときには無名数を用いることがほとんど」で、「計算の段階では単位・助数詞を考えず,計算結果が出たところでそれに対して単位助数詞を与えるというような操作が一般的」と述べ、「中学校以上になると始めから単位を表わさない量の表現もあ」り、そこでは「単位のついた形で量としてその概念を会得したのち,さらにその抽象化として捉える必要がある。」としている。

これらを「教育の段階として計算の過程だけを取り上げて教えることは当然のことだとは考える」としながらも、「が,その結果,たとえば
例: 3 m と 10 cm を加えて 13      5 m^2 と 3 m を加えて 8 m
になってしまうようなことに違和感を感じないのは大きな問題である。
」と述べ、「現象を抽象的に見て数値として表現するという,数概念の根幹が分かっていない」と断じている。

最後に「出来るだけ無名数を使わない方が良いのではないか。」「数学の基本的な道具立てを改めて認識し直すことが大切なのではないか」と結論づけている。

最初に取り上げた入試問題、それを誘発したこの教科書の記述はまさに「違和感を感じないのは大きな問題」であり、「数概念の根幹が分かっていない」と言えるのではないだろうか。

「◯倍」は必要か

東京書籍からの回答に戻る。

xの増加量やyの増加量のように、2つの数量の変化に着目する見方ができる生徒でも、2つの数量を対応させる見方に難しさを覚えることは多くあります。そこで、対応の見方を養うために「y の増加量は x の増加量の◯倍」といった文章を入れております。

(東京書籍 担当部門)

代替表現がないのであればまだしも、

  • x が 2倍,3倍,4倍,…になると y はどうなるか (ここでの「倍」は x どうしなので用法に問題はない)
  • x がいくつ増えると y はいくつ増えるか
  • x が1ずつ増えると y はいくつずつ増えるか

等の表現で、「2つの数量を対応させる見方」を養えるのではないか。

「y の増加量は x の増加量の◯倍」でしか表現できない何かがあるのだろうか。この表現による効果がゼロとは言わない。いくらかはあるだろう。しかしこの表現による副作用が

しかしながら、ご指摘のように異なる物理量について「倍」という表現を用いているように捉える先生がいらっしゃるかと存じます。

(東京書籍 担当部門)

であれば、しかもそれが入試問題になってしまい、さらには学校指定購入のワークブックに収載されてしまっているとなれば、もはや利点を大きく上回って有害とすら言えるのではないか。教師が誤解するほどであれば生徒はなおさらである。

たとえば、これは中学生の投稿する掲示板に見られる例である。

「変化の割合」を正しく理解しているにもかかわらず「何倍」に惑わされて混乱している様子が伺える。私に言わせればこの質問者らの感覚のほうがまともだ。

上に挙げた代替表現は、日常の具体的事象と結びつけても何ら困らない。「時間 x が 2倍,3倍,4倍,…になると 温度 y は」「時間 x がいくつ増えると 温度 y は」のように。ところが「温度 y の増加量は 時間 x の増加量の◯倍」は日本語として破綻している。数学的表現の限りでは問題ないことは私も理解するが、日常の具体的事象と結びつけたとたんに破綻する表現をあえて持ち込むことは特に利点がない以上、不要と考える。

結論

東京書籍からの回答を、先ほどと重複して引用する。

しかしながら、ご指摘のように異なる物理量について「倍」という表現を用いているように捉える先生がいらっしゃるかと存じます。

次回、教師用指導書等を編集する際に、上記のことを検討したいと存じます。

(東京書籍 担当部門)

「京都の入試問題は不適切」と単刀直入には言っていないまでも、先生(問題作成者)の誤読があると言っているように読めるが、どうだろうか。

教師用指導書等で解説されるとしたら、それはそれでいいことには違いない。ないよりははるかにましである。しかし、教科書の読者の圧倒的多数は生徒であり、生徒が教師用指導書を見ることはほぼない。生徒が、教科書だけでは誤解してしまう可能性のある記述のみを与えられ、その注釈を与えられないのは不当だろう。(とは言え、その注釈までも教科書に載せるのは現実的でないことは理解する。)

いくらかの利点があるとしてもそれを上回る弊害があるのであれば、むしろこの表現「y の増加量は x の増加量の何倍」は避けるべきだと考える。

余録

ここまでに引用したものの他にいくつかの回答を得たので、それをここに記しておく。

ひとつは、冒頭に示したワークブックの出版社。

確かに「制動距離は秒速の何倍か」のような出題だと明らかに誤りになりますが,問題文中に「秒速xmで走るときの制動距離をymとする」とありますので,xとyは数として解釈して計算しております。

このような表記と考え方(単位をxやyの外につけて,xとyの値にのみ着目する考え)は,中学数学の教科書では慣例的に使われており,出題として問題ないと判断して掲載いたしました。

(正進社 中学編集部数学担当)

もうひとつは、別の教科書出版社。こちらの教科書の当該箇所の記述は平成27検定版と令和2検定版のどちらも、東京書籍令和2検定版とほぼ同じで、具体的事象の例示はなく数学的記述のみで説明が進み、その中に「y の増加量は x の増加量の何倍」の表現がある(数学的記述のみの限りでは問題ないことは私も理解する)。そのためか、問い合わせの真意を汲み取ってもらえなかったところがある。

関数の学習では,身のまわりの数量をxやyで表すことがよくあります。xやyで表した時点で単位についての情報はなくなり,xやyは「値」を表していると考えております。

中学校でも関数を扱う際には,「x時間」「ycm」などとして,量を表す単位は文字には含めておらず,xの増加量,yの増加量はその単位で定められた変数がとる「値」であると考えております。

(啓林館 数学編集部)

こうして並べてみると、中学数学の世界には「単位を外に付ければ x や y は「値」のみなので無次元」的なことが共通認識としてあることがわかった。はじめに挙げた京都府からの回答も私には意味不明だったが、なるほどこういうことか。これはたいへんな驚きである。

さらにもうひとつは、東京書籍からの2通め。

単位や次元について強く意識されるのは、高等学校の物理で次元やSI単位系について学習する段階だと思われます。

中学校数学においては、数を対象として学習を行っておりますが、中学校理科や高等学校物理と考えが異なる点もございますので、次回改訂の際には、ご指摘いただいた点に意を払って議論を行いたく存じます。

(東京書籍 担当部門)

中学数学を教える側は一生そこに留まっていて困らないのかもしれないが、生徒たちはどんどん先にも横にも進まなければならない。ここでの認識にとらわれていたら、次元解析無次元化などまるで理解できなくなるのではないか。理解するためには中学で教わったことを捨てて発想を転換しなければならない。なぜ生徒たちがそんなことを強いられなければならないのか。中学数学のほうが「単位を外に付ければ x や y は無次元」のような、世間一般では通用しない珍妙な概念を捨てればいいのでないだろうか。