ひとり親家庭に対する行政の支援

児童扶養手当

さて、父ひとり子ひとりの家庭となったわけだが、近くに祖父母や親戚もなく何かと心もとないため、市役所のページをいろいろと見て、まず福祉事務所に相談に行くことにした。さっそく「児童扶養手当」の説明を受けた。が、手続きはすぐには進まない。

まず、別居の事実の確認がなされなければならないらしい。元つれあいの住民登録が別のところになされていることは、役所内なのでその場で確認がすんだ。実態としての確認は民生委員の訪問を受けその報告が必要とのこと。最初の日はこれでおしまい。

民生委員の連絡先を教えられ、こちらから電話してアポイントをとらなければならない。なるほど『偽装離婚』を見分けなければならないのだろうが、これはけっこう心理的ハードルが高い。うちは円満?離婚だからまだいいが、もっと厳しい事情の人はよほど大変だろう。よくある話だが、民生委員は顔見知りの方だった。いっそ同じ町内の町会長あたりだとよかったのだが(町内会の役を辞めざるをえないため、家庭内事情を説明しないわけにはいかなかったのだ)、隣の町の微妙な距離感の方だったのでバツが悪い。数日後に来訪を受け、その後半は民生委員の愚痴(守秘義務はあるわボランティアだわまったく引き受けたくないもんだね、的な)を聞いて、確認の書類に署名をもらって終了。

さらに日をあらためて再び福祉事務所の窓口へ。その場で数枚の書類に記入していく。何度も何度も住所と名前を書く羽目になり、ひとつ書いたら済むようにならないもんですかね、と言ったら、「以前は窓口そのものがあちこちで、たらい回しだったんですよ。ここだけで済むようになってこれでもまし」といった答だった。そう思えば確かにここだけで済んでありがたい。

児童扶養手当の申請は受理されたが、決定まではしばらく時間がかかるとのこと。それにしても、つい数年前までは父子家庭ではこれを受けることができなかったとは驚きだ。やってみればわかるが、たとえ男親であっても働き方は著しく制限されるし経済的な影響は大きい。先人たちの労苦によってこの道が拓かれていてほんとうに助かる(とはいえまだこの時点ではうちの受給は決定していないのだけれど)。

医療費助成

たくさん書いた書類のひとつが医療費助成の申請。うちの自治体では小児医療費助成の対象が9歳までなのだが、ひとり親家庭だとこどもは18歳まで助成されるし、その親にも助成がある。

実際、親である僕がこれらの手続きの最中に風邪をひいてしまい病院に行くことになったのだが、ひとり親家庭の始まった日まで遡って申請できるとのことで、助かった。

広い世界に触れてみなされ

Jetpack by WordPress.com プラグインで Youtube の画を埋め込んでいるのだけれど、説明どおりにやっても小さくできない。縦は縮むのに横幅はそのまま。別の環境で見るとまたちがうのだろうか。【追記】原因がわかったので修正した。

閑話休題。

1年半ほど前にどこかで Goosehouse という集団? を知ってから妙に気に入って、 Youtube でよくこの人たちの演奏を見ている。ずっと過去まで遡って、その前身の Playyouhouse 時代のものまでつい見てしまうのだが、そんな僕にとってベスト3にはいるのが関取花&齋藤ジョニー「汽車のうた」だ(もう2人とも Goosehouse を卒業してしまったけれど)。

2人の声とギターをたぶん1本のマイクで一発で録ったであろうに、このうまさと迫力は何であろうか。シンプルなメロディが耳に残る。

そういうわけで今日もまた Youtube を見ていると、ふと「あなたへのおすすめ」に、関取花「むすめ」とある。テレビの CM らしいが、めったにテレビを見ないどころかつい先日までテレビが映りもしなかったので、まったく知らなかった。

これは効いた。

こういう唄はきっと聴く者の心持ちによって聞こえ方が違うのだろうと思う。もし1年前に聴いていたらここまで心にしみることもなかったかもしれない。僕がこの唄のような言葉を贈るのはまだずっと先のはずなのだけれど。

陽気に行こう

2人暮らしが始まった。

ただし3人から2人へ。4歳の娘とその父である僕の。

正直に言って不安は大きい。これまでは大人が2人いたから、もう1人に声をかけてちょっとした用で出かけることもできたが、4歳の子はまだ留守番もできないのでそれもできない。時間配分もどうしたらいいのか。スウちゃん(仮名)が保育園から帰ってきてから寝るまでは僕の自由になる時間はほぼなくなるだろう。これから試行錯誤だ。

さて心配ばかりしていても仕方がない。この暮らしを楽しむことにしよう。

(はて、Youtube の画を小さく挿入したいのだけれどうまくいかないぞ。これでは大きすぎる)

本当は、プライベートなことばかりだろうし、ここにこういうものを書くのはどうかという気持ちもある。それでも一方で、どこかの誰かに読まれるかもしれない、という状態に あえてしておきたい気持ちもある。というのは、この2人暮らしは「密室」になりがちなのだ。

だから、ひとつは誰かが見てくれているかもしれないという気に自分をさせることで「密室」化しないように、もうひとつは僕の「ガス抜き」となるように。