y の増加量は x の増加量の何倍

まとめ

記事がとても長くなったので、最初にまとめを示しておく。

中学校の数学で、

  • 1次関数の「変化の割合」の学習の箇所に、「y の増加量は x の増加量の何倍」なる表現は必要か否か

利点よりも誤解を生む弊害のほうが大きいので不要、むしろないほうが望ましいというのが私の考え。

  • 「単位を外に付ければ x や y は「値」のみなので無次元」的な概念の是非

1点めを掘り下げているうちに明らかになった、中学数学全体に及ぶような大きな問題。そのためここで述べてもどうにもならないような気もするが、生徒たちは先(高校や大学、実社会)にも横(他教科、特に理科)にも進んでいかなければならないことを思えば、どちらにもつながらないこのような局所的な概念はないほうがいいというのが私の考え。

入試問題

きっかけは、中学3年生向けのワークブック(学校で全員が買わされるやつ)をたまたま見たことだった(私がそれを見てこの記事を書いているのは2023年11月)。そこに掲載されていた問題の出典は、京都府の高校入試問題(平成31年度 京都府公立高等学校入学者選抜 中期選抜学力検査 検査3「数学」の大問4)であることがわかった。

【4】 自転車に乗っている人がブレーキをかけるとき、ブレーキがきき始めてから自転車が止まるまでに走った距離を制動距離といい、この制動距離は速さの2乗に比例することが知られている。太郎さんの乗った自転車が秒速 2 m で走るときの制動距離は 0.5 m であった。
(1) 太郎さんの乗った自転車が秒速 x m で走るときの制動距離を y m とする。y を x の式で表せ。また、x が5から7まで変化するとき、y の増加量は x の増加量の何倍か求めよ。

解答欄は2つの枠があり、1つめには「y =    」が印刷されていてその後の空欄を埋めるようになっており、2つめには「    倍」が印刷されていてその前の空欄を埋めるようになっている。

何がおかしいか

私がおかしいと感じるのは問題文後半の「◯倍」を答えさせる部分だ。

y の増加量は長さの次元を持つ。x の増加量は速さの次元を持つ。問題文では「x が5から7まで変化するとき」と、あたかも無次元量のような表記になっているが、問題文前半から x、y がそれぞれ速さ、長さの次元であることは明らかである。そもそも次元の異なる2つの物理量の倍率を問うこと自体がナンセンスである。たとえるならば「5 kg は 1 m の何倍か」という表現と同等であり、意味をなしていない。

出題者は「x の増加量に対する y の増加量はいくらか」と問うべきところを、単なる日本語の間違いで「y の増加量は x の増加量の何倍か」と書いてしまったのだろうか。それを指摘することは揚げ足取りに過ぎないのだろうか。

出題者の意図

その旨を問い合わせたところ、京都府教育庁指導部高校教育課より回答があった。

本問については、まず自転車の速さをx(m/秒)、制動距離をy(m)として、xとyの関係を式で表現させています。そのxとyの関係式について、xの増加量とyの増加量を比較させる問題です。

この、xの増加量とyの増加量を比べることについて、単位の異なる2つの物理量を比較させているというご指摘ですが、x、yのそれぞれの増加量を比べているものであって、単位の異なる2つの物理量を比べているものではありません。

(京都府教育庁指導部高校教育課)

回答の内容は、私には意味不明としか言いようがない。

「物理量」「次元」という言葉がわかりにくいのであれば、「ある単位で表される値」とでも読み換えてもらっていい。それでも私の指摘するところは変わらない。

x が [m/s] で表される値ならば、「x の増加量」もまた [m/s] で表される値である。同様に、「y の増加量」も [m] で表される値である。単位の異なる2つの値を「◯倍」と表現することは、日本語ではあり得ない。

もし問題文が「x の増加量に対する y の増加量はいくらか。」または「変化の割合はいくらか。」であれば、変化の割合は有次元でもかまわないので「3/2」と解答できるが、問いが「何倍か」で解答用紙の欄に「倍」と印刷されて限定されているのであれば、答えるべき数値は無次元量でなければならず、この問題の場合は解答不能である。

問題文では「x が5から7まで」と、この箇所にはあえて単位を書かずあたかも無次元であるかのような表現になっている。しかし、問題の前段で求める係数 1/8 は、x や y がその次元(単位)だからこそその値になる。x の単位を [m/s] としたときのものであって、単位が異なれば値は変わる。試しに速さを [km/h] にして係数を求め直してみれば明らかだ。x や y の値は単位と切り離されておらず、式に現れる係数もまた同様である。したがって正答例 3/2 は、明らかに [m] と [m/s] の比であって無次元ではなく、「倍」と言うことができない。

この回答を見ると出題者は単に言葉「倍」の使い方を間違えたのではなく、実は確信的に、「xの増加量」を本当に無次元量だと思いこんで、「倍」を使ったのかもしれない。

私立高校入試問題

ここで補足的に、別の高校の対応について記しておく。

京都府に問い合わせて回答を待つ間にこちらでいろいろ調べているうちに、本件とほぼ同じ問題が2021年度にある私立高校入試で出題されていたことを発見した。(ここまでそっくりの問題を出題することの是非は、私は第三者であり当事者間の許諾などを関知していないため、ここでは触れない。)

その高校にも同様の問い合わせをしたところ数日後に回答があり、曰く、「出題ミス」と判断し過去問題を掲載していた箇所にその旨を掲示する、とのことであった。

教科書の記述

さて、京都府教育庁指導部高校教育課からの回答には続きがあって、

実際に、当時の教科書においても、次のような記載があります(東京書籍『新編新しい数学2』P58)。

「1次関数の値の変化についてで「電気ポットでお湯を沸かすとき、熱し始めてからx分後の水の温度をy℃とすると、y=5x+20となることがわかりました。
  xの値が4から6まで増加したとき
  xの増加量は 6−4=2  yの増加量は (5×6+20)−(5×4+20)=10
 yの増加量はxの増加量の5倍になっている。
すなわち (yの増加量)/(xの増加量)=5
xの増加量に対するyの増加量の割合を変化の割合という。」

以上のことから、解答不能とは考えておらず、出題ミスとも考えておりません。

(京都府教育庁指導部高校教育課)
当時の教科書(平成27年検定済「新編 新しい数学2」東京書籍)

と書かれていた。

入試問題では明らかに「速さ毎秒 x m、距離 y m」と記しているので「y の増加量は x の増加量の何倍」という表現は誤りである。それに対して教科書では、ページの上段の「Q」と下段の「例1」のつながりをどの程度と見るかで判断は分かれるだろう。「例1」と区切っていることから、ここは具体的事象から切り離して数学的記述のみと見ることもできる。そう見れば、「y の増加量は x の増加量の5倍」という表現も一概に誤りとは言えない。

しかし、上段にある式をそのまま使っているこのページの構成からして、大半の読者は、上段の具体的事象について述べていると理解するのではないか。実際、入試問題作成者までがこの表現に影響されて、「速さ毎秒 x m、距離 y m」のように具体的な単位で表される値にまで「何倍」を用いてしまったではないか。

新版の教科書

令和2年検定済「新しい数学2」東京書籍

ちなみに2023年時点の現行の教科書(令和2年検定済「新しい数学2」東京書籍)では、具体的事象が消え、数学的な記述のみに変更になっている。確かにこのページだけ見れば「y の増加量は x の増加量の◯倍」という表現も誤りとは言えない。

しかし、このページ内での矛盾はなくなり旧版よりましになったとは言え、前後には具体的事象の例題・練習問題が多くある。また、1次関数は特に日常的事象や他教科(特に理科)の内容とも密接に関わる。x や y が具体的な単位で表される値になれば意味をなさない「y の増加量は x の増加量の◯倍」という表現は避けるべきであろう。

「変化の割合」に誘導するステップとして、「y の増加量は x の増加量の◯倍」の表現を置くことが生徒にとって助けになるとの判断があったのかもしれない。しかし、検定済7点の教科書を見比べてみると、これを抜きにしても変化の割合を丁寧に教えているものも存在する。

生徒だけでなく教師や入試問題作成者にすら上述のような誤解を与える弊害があることを考慮すると、この節に「y の増加量は x の増加量の◯倍」という表現は用いないほうが望ましい。

教科書出版社の回答

そこで東京書籍に問い合わせてみたところ、次のような回答があった。

数学の世界で関数を考察しておりますので、「y の増加量は x の増加量の◯倍」の表現は問題ないと存じます。

また、数学の世界に落とし込むときに混乱が生じないよう、文字のおき方も次元を持たない表現にしています。例えば、平成27年検定版の58ページのQでは
  「x分後の水の温度をy℃とすると,」
と表現してあります。次元を含んだものを計算することはできないため、無次元になるように定義しております。

(東京書籍 担当部門)

私の知る「無次元」は上述のとおりなのでやや面食らったが、どうやら中学数学ではこのように解釈するらしい。どうにか意図を読み取ると、文字とは別に単位を書いておけば x や y は無次元ということか。

この理屈でいくと、「x分後の水の温度をy℃とする。x+y はいくらか。」といった設問も可能ということになってしまう。ここまで露骨なものは実際にはないだろうが、極端な例を挙げている。

平成27年検定版58ページは、はじめに具体的事象が例示された後に式が示されその後に「何倍」とあるから、多少複雑になっているとは言え、ここに挙げた極端な設問と構造的には同じだ。やはり実感としてはおかしいと言わざるを得ない。

私のような者は「x分後の水の温度をy℃とすると,」を「x とは時間を分で測った量であり、y とは温度を摂氏で測った量であると定義する」という意味に理解する。むしろ無次元とはまったく逆である。私も当然、中学校の数学を通過した者だが、いつから現在のような感覚になったかは自覚していない。いずれにしろ、学校数学は世間一般の感覚からずれているように思う。

抽象化と具象化

「倍」という表現からいったん離れて、もう少し低学年で学習するであろうところに話を移してみる。

小学校低学年あたりの算数では「抽象化」の理解に力を注いでいるだろう。たとえば

(a) りんご5個とりんご2個、合わせていくつ。
(b) トラック5台とバス2台、合わせていくつ。
...

から、抽象化した 5 + 2 = 7 を理解させるような。ここまでできたら、「6 + 3 = 9 からお話を作ってみましょう。」が理解度を測る一つの方法だろう。

(a') バナナ6本とバナナ3本。合わせていくつ。
(b') コミック6冊と絵本3冊。合わせていくつ。

もし中途半端な理解であれば、

(x) 重さ 6 kg と長さ 3 m。合わせていくつ。

という誤ったお話(「具象例」)を作ってしまうかもしれない。

いろいろ検索して回っているうちに次のような論文を見つけた。

現行の算数科では概念の把握には助数詞または単位をつけた数 (名数) を考えるが,これを式で表現するときには無名数を用いることがほとんど」で、「計算の段階では単位・助数詞を考えず,計算結果が出たところでそれに対して単位助数詞を与えるというような操作が一般的」と述べ、「中学校以上になると始めから単位を表わさない量の表現もあ」り、そこでは「単位のついた形で量としてその概念を会得したのち,さらにその抽象化として捉える必要がある。」としている。

これらを「教育の段階として計算の過程だけを取り上げて教えることは当然のことだとは考える」としながらも、「が,その結果,たとえば
例: 3 m と 10 cm を加えて 13      5 m^2 と 3 m を加えて 8 m
になってしまうようなことに違和感を感じないのは大きな問題である。
」と述べ、「現象を抽象的に見て数値として表現するという,数概念の根幹が分かっていない」と断じている。

最後に「出来るだけ無名数を使わない方が良いのではないか。」「数学の基本的な道具立てを改めて認識し直すことが大切なのではないか」と結論づけている。

最初に取り上げた入試問題、それを誘発したこの教科書の記述はまさに「違和感を感じないのは大きな問題」であり、「数概念の根幹が分かっていない」と言えるのではないだろうか。

「◯倍」は必要か

東京書籍からの回答に戻る。

xの増加量やyの増加量のように、2つの数量の変化に着目する見方ができる生徒でも、2つの数量を対応させる見方に難しさを覚えることは多くあります。そこで、対応の見方を養うために「y の増加量は x の増加量の◯倍」といった文章を入れております。

(東京書籍 担当部門)

代替表現がないのであればまだしも、

  • x が 2倍,3倍,4倍,…になると y はどうなるか (ここでの「倍」は x どうしなので用法に問題はない)
  • x がいくつ増えると y はいくつ増えるか
  • x が1ずつ増えると y はいくつずつ増えるか

等の表現で、「2つの数量を対応させる見方」を養えるのではないか。

「y の増加量は x の増加量の◯倍」でしか表現できない何かがあるのだろうか。この表現による効果がゼロとは言わない。いくらかはあるだろう。しかしこの表現による副作用が

しかしながら、ご指摘のように異なる物理量について「倍」という表現を用いているように捉える先生がいらっしゃるかと存じます。

(東京書籍 担当部門)

であれば、しかもそれが入試問題になってしまい、さらには学校指定購入のワークブックに収載されてしまっているとなれば、もはや利点を大きく上回って有害とすら言えるのではないか。教師が誤解するほどであれば生徒はなおさらである。

たとえば、これは中学生の投稿する掲示板に見られる例である。

「変化の割合」を正しく理解しているにもかかわらず「何倍」に惑わされて混乱している様子が伺える。私に言わせればこの質問者らの感覚のほうがまともだ。

上に挙げた代替表現は、日常の具体的事象と結びつけても何ら困らない。「時間 x が 2倍,3倍,4倍,…になると 温度 y は」「時間 x がいくつ増えると 温度 y は」のように。ところが「温度 y の増加量は 時間 x の増加量の◯倍」は日本語として破綻している。数学的表現の限りでは問題ないことは私も理解するが、日常の具体的事象と結びつけたとたんに破綻する表現をあえて持ち込むことは特に利点がない以上、不要と考える。

結論

東京書籍からの回答を、先ほどと重複して引用する。

しかしながら、ご指摘のように異なる物理量について「倍」という表現を用いているように捉える先生がいらっしゃるかと存じます。

次回、教師用指導書等を編集する際に、上記のことを検討したいと存じます。

(東京書籍 担当部門)

「京都の入試問題は不適切」と単刀直入には言っていないまでも、先生(問題作成者)の誤読があると言っているように読めるが、どうだろうか。

教師用指導書等で解説されるとしたら、それはそれでいいことには違いない。ないよりははるかにましである。しかし、教科書の読者の圧倒的多数は生徒であり、生徒が教師用指導書を見ることはほぼない。生徒が、教科書だけでは誤解してしまう可能性のある記述のみを与えられ、その注釈を与えられないのは不当だろう。(とは言え、その注釈までも教科書に載せるのは現実的でないことは理解する。)

いくらかの利点があるとしてもそれを上回る弊害があるのであれば、むしろこの表現「y の増加量は x の増加量の何倍」は避けるべきだと考える。

余録

ここまでに引用したものの他にいくつかの回答を得たので、それをここに記しておく。

ひとつは、冒頭に示したワークブックの出版社。

確かに「制動距離は秒速の何倍か」のような出題だと明らかに誤りになりますが,問題文中に「秒速xmで走るときの制動距離をymとする」とありますので,xとyは数として解釈して計算しております。

このような表記と考え方(単位をxやyの外につけて,xとyの値にのみ着目する考え)は,中学数学の教科書では慣例的に使われており,出題として問題ないと判断して掲載いたしました。

(正進社 中学編集部数学担当)

もうひとつは、別の教科書出版社。こちらの教科書の当該箇所の記述は平成27検定版と令和2検定版のどちらも、東京書籍令和2検定版とほぼ同じで、具体的事象の例示はなく数学的記述のみで説明が進み、その中に「y の増加量は x の増加量の何倍」の表現がある(数学的記述のみの限りでは問題ないことは私も理解する)。そのためか、問い合わせの真意を汲み取ってもらえなかったところがある。

関数の学習では,身のまわりの数量をxやyで表すことがよくあります。xやyで表した時点で単位についての情報はなくなり,xやyは「値」を表していると考えております。

中学校でも関数を扱う際には,「x時間」「ycm」などとして,量を表す単位は文字には含めておらず,xの増加量,yの増加量はその単位で定められた変数がとる「値」であると考えております。

(啓林館 数学編集部)

こうして並べてみると、中学数学の世界には「単位を外に付ければ x や y は「値」のみなので無次元」的なことが共通認識としてあることがわかった。はじめに挙げた京都府からの回答も私には意味不明だったが、なるほどこういうことか。これはたいへんな驚きである。

さらにもうひとつは、東京書籍からの2通め。

単位や次元について強く意識されるのは、高等学校の物理で次元やSI単位系について学習する段階だと思われます。

中学校数学においては、数を対象として学習を行っておりますが、中学校理科や高等学校物理と考えが異なる点もございますので、次回改訂の際には、ご指摘いただいた点に意を払って議論を行いたく存じます。

(東京書籍 担当部門)

中学数学を教える側は一生そこに留まっていて困らないのかもしれないが、生徒たちはどんどん先にも横にも進まなければならない。ここでの認識にとらわれていたら、次元解析無次元化などまるで理解できなくなるのではないか。理解するためには中学で教わったことを捨てて発想を転換しなければならない。なぜ生徒たちがそんなことを強いられなければならないのか。中学数学のほうが「単位を外に付ければ x や y は無次元」のような、世間一般では通用しない珍妙な概念を捨てればいいのでないだろうか。

「6÷2(1+2)」問題は100年前にも議論されていた

明示されない乗算と除算記号の演算順序について、記事『「6÷2(1+2)」問題について教育委員会に問い合わせてみた』『6÷2(1+2)問題あらため2a÷2a=1問題 — はてなブックマークのコメントに反応してみる』を書いたのは2015年3月でした。そのときですら既に周回遅れで、検索してみるとその2,3年前にも話題になっていたようです。そして年に数回ほど、突然ばっとこの記事へのアクセスが増えることがあります。どこかで話題になり、検索してたどり着くのでしょう。

私はこの問題に特に興味を持っているわけでもなく、その後を追っているわけでもないのですが、今年(2019年)に入ってまた急にアクセスが上昇したので、思い出したように自分でも検索してみたところ、興味深い例を見つけました。

Lennes, N. J. “Discussions: Relating to the Order of Operations in Algebra.” The American Mathematical Monthly 24.2 (1917): 93-95. Web. https://www.jstor.org/stable/2972726

です。内容をかいつまんでみると、

  • 理論的には、演算順序は左から右なので、9a2÷3a = 3a3 であって 3a ではない。
  • しかし実際には、9a2÷3a = 3a のような例ばかりが見られる。
  • 当時の Chrystal の代数の教科書では、これを避けるため、乗算記号のない積を除算記号の直後に置かないよう注意深く書かれていた。
  • それに続くいろいろな人による教科書ではその注意が足りず、10bc\div 12a = \frac{(10bc)}{(12a)} などと書かれた。
  • 9a2÷3a は 3a を意味して 3a3 ではない、というのは「数学の慣用表現」である(英単語 drink の過去形が drank であって drinked でないように)。
  • これは論理的ではなく、歴史的な事柄である。

というものです。

以前の私の記事には、なんとか 9a2÷3a が 3a であることの理論的(?)根拠を示そうと、多くのコメントが付きました。私にはさっぱり響きませんでしたが。それが100年も前に「理論ではない、“慣用表現”だ」と喝破されていたのでした。古い文献に 9a2÷3a が 3a のような例があることをもって、それみろと言わんばかりにこれを主張する人がありましたが、むしろ逆で、古い文献にあるからこそ「歴史的遺物」とも言えるわけです。

以前の記事へのコメントに答えて私も「Smith の第33条で、(a÷b÷cは)「a÷bcと書くこともあるよ」と、ほんのおまけのように付け加えていることは、ただこの慣習に触れているにすぎないのではなかろうか、と思わされました。」(2015年3月18日のコメント)と書いています。今あらたにその思いを強くしています。

繰り返しますが、私はこの問題に特段の興味があるわけでもなく緻密に議論を追っているわけでもありません。その私は今、

  • ずっと昔は、乗算と除算の優先順位が同等でない考え方もあった。“If an arithmetical or algebraical term contains ÷ and ×, there is at present no agreement as to which sign shall be used first.” (Cajori ”A History of Mathematical Notations” 1928–29)
  • 「慣習的に」9a2÷3a が 3a であるような表記もしばしば行われた。
  • 既に100年前に、それは慣習的・歴史的なものであり、理論的ではないと指摘されていた。
  • 理論的でない表記は廃れるかと思われたが、いつしか「慣習的」であることが抜け落ちた。
  • 今日でも中学生にはこれが「慣習的・歴史的」とは告げずに教えられている。

のような流れではなかろうかと推測しています。

この Lennes (1917) の存在を教えてくれたのは、今回検索していて見つけた動画でした。

私の記事よりは後の2016年に公開され、現在(2019年)までに1千万回以上も視聴され、7万件以上のコメントが付いています。もちろんすべてのコメントを見ることはできていませんが、ざっとみたところ「1派」も「9派」もたくさんいます。このことからはっきりわかるのは、この問題は「あいまい」であるということです。

以前の記事へのコメントでも書きましたが、この問題についての私の考えは次のとおりです。それは上述の100年前の指摘を知った今も変わりません。

ab÷ab を ab÷(ab) と書きさえすれば誰もあいまいだとは思いません。中学校でもこの表記で教えて何か困ることがあるでしょうか。括弧を付けても単項式の除算の意味を教えるのに何の不都合もありません。現状のあえて括弧を付けない ab÷ab でしか表せない何かがありますか。ab÷ab と書かなければならない必然性がどこにもありません。(2016年3月7日のコメント)
「すべき」ことは、むしろ括弧を使うことです。別の解釈をさせたければ ab÷(ab) と、括弧をつかう「べき」です。単項式わる単項式の理解度を計測するのに、括弧を使っても何の不都合もありません。(2018年9月4日のコメント)

【この記事にコメントする際の注意】

この話題に関する以前の記事『「6÷2(1+2)」問題について教育委員会に問い合わせてみた』『6÷2(1+2)問題あらため2a÷2a=1問題 — はてなブックマークのコメントに反応してみる』には非常に多くのコメントが付けられ、後から読む人が苦労するほどになってしまいました。そのため、それらの記事へのコメントの受付を停止します。

この記事へのコメントは、それらの記事に既に付けられているコメントと同内容と私が判断するものは、原則として不掲載とし、削除することをあらかじめ宣言しておきます。自由に意見を述べることを封殺する意図はありません。後にここを目にする人たちに対しての配慮です。ご理解ください。

「かけられる数」「かける数」ってわかりやすい言葉なのだろうか

そうこうしているあいだに、小学2年生のスウちゃん(仮名)の冬休みが終わり3学期になりました。2学期末は学校でかけ算をやっていましたが、宿題で持ち帰るプリントやドリルでは、かの有名な「かけ算順序問題」が繰り返し繰り返し出されます。延べ10回は超えているでしょう。しかしスウちゃんはちっとも引っかからず、求められているとおりに答えるので、親としてはやや拍子抜けです。「かけ算順序問題」そのものについては、ここでは深入りしません。既にあちこちで語られているでしょうから。

さて、「6×4 の式でかけられる数はどちらですか」のような設問も見られます。この「かけられる数」という言葉(言い回し)は、どうにも分かりにくいと感じます。大人でも混乱しそうです。少なくとも私はそうです。たぶん「受け身」(受動態)という形が普通ではないからでしょう。私はしばらくあるフリーソフトの翻訳に関わっていましたが、そこでも日本語の訳文は「できるだけ受け身にしない」という指針でした。

毎年数万人、延べ何百万人の先生方は疑問に思わないのでしょうか? まあ先生ほど普段から使っているから身についてしまって何とも思わないのかもしれません。百歩譲って、「かけられる数」「かける数」の区別が重要だとしても(それは教える側の問題であって、子どもたちがそれを意識する必要はないというのが私の考えです)、たとえば「はじめの数」や「もとになる数」、もっと簡単に「もとの数」とかいう語ではだめなのでしょうか。だいぶましだと思うのですが。そういう語だと加減乗除のどの場合にも左側の数をそう呼べるので、統一的な理解にもつながりそうにも思います。そうしない理由がどこかにあるのでしょうか。

ところで、念のために「かけ算順序問題」についての私の考えをさらっと書いておきます。

  • 教室で子どもたちに順序つきで教えること自体に異論はない。逆順も教えなければならないとも思わない。
  • ただし、子どもが逆順で答えてきたものを☓にしてはならない。したがって順序を問うような問題はナンセンス。

繰り下がりのあるひき算で、「減減法は筆算でつまづく」か

スウちゃん(仮名)は2年生になり、小学校でも筆算を習うようになった。早い時期から位取りの概念を掴んでいてもらいたく、家では1桁どうしのころから筆算に慣らしていたので、特に苦労はないようだ。

学校の宿題のドリルをやるのを脇で観察していたらスウちゃんが「自分のやり方でやってもいい?」と聞く。何のことかと思って「いいよ」と返事をして見ていると……。

32-19たとえば「32-19」の場合、スウちゃんは次のようにやる。

  • 2から9はひけない。そこで9から2をひいて、7
  • その7を10からひくと「3」。これを一の位のところに書く
  • 十の位の計算はさきほど使ったぶんの1を減らして、「1」

父である私は多数派(たぶん)のやり方、「10から9をひいて1、それを2とたして3」とやる。調べてみると自分のやり方には「減加法」という呼び名があるようだ。それに対して「減減法」というのがあって、「9のうちひけるだけの2をひいて、ひききれなかった7を10からひいて3」とやるらしい。スウちゃんのやり方は「減減法」の亜種という感じだ。

調べていて、「減減法は筆算でつまづく」というのを何回か見かけた。そうだろうか。

スウちゃんは、筆算の問題をたくさん見ているうちにこの「法則」を発見(という言葉は使わなかったけれど)したとのこと。だから筆算のときだけこのやり方になる。というか彼女の中ではこのやり方自体が「筆算」という解法の一部らしい。それなりに理にかなっており筆算の邪魔になってはいないように見える。将来何か困ることがあるのだろうか。

スウちゃんのやり方は、この論文では「誤りのパターン」と言われている

スウちゃんに繰り下がりの意味をあらめて聞いてみると、学校でも習ったとおりにきちんと説明できる。それに、1年生のときの「20未満ひく1桁のひき算(繰り下がり)」は「ひき算カード」で何か月も宿題として暗唱させられていたから、それはすらすらと口から出てくる。

いずれにしろ、機械的に計算する(筆算とはそもそもそういうものだと思うが)場合はともかく、「ひき算」や「繰り下がり」の意味を見失わないようにしておくことが肝心なのだろう。

先取りなのか回り道なのか—さんすう編—

長いあいだこのブログも更新していなかったが、そうするうちにスウちゃん(仮名)は1年生になった。

8か月ほど前に「ドミノとさんすう」で、その頃の“さんすうのおべんきょう”について書いてみたのだが、現在の状況についてメモしておこう。なお家での独自の“べんきょう”についてであって、学校でのさんすうや宿題は、これとはまた別にあるのは言うまでもない。

前の記事の『ふたたび「さんすう」』の節にも書いたとおり、筆算(縦書き)をかなり早めに(ほとんど意味がないと思える1桁どうしの計算のころから)教えてきた。また、ブロックを使っていたものが2桁どうしになるとほぼ無理となり、簡単な図を描くように変わってきた。

現在(小学校1年生の6月末)は、2桁どうし[1]のたし算・ひき算の筆算を、脇に図を書きながらやっている。とにかくたし算・ひき算だ。かけ算は1桁どうしもやっていなければ、図形もやっていない。

こちらが問題を考えて作ってやるのが面倒なので、半自動で作成するようにした。つまり、LaTeX の emath マクロを利用して、その中の

を使って、A4横置きの紙に20問(たし算かひき算かはランダム)を出力するようにした。スウちゃんは気が向いたら(それは退屈でほかにやることがないときか)これをプリントして、やっている。

繰り上がりや繰り下がりのときの「筆算でのテクニック」—上に1を書くだの—は教えていない[2]。そのため、脇に図を描いては「10の束が何本、ばらが何個」というふうにやっている。わりと間違えないし、そこそこ速くできるものだ。

「テクニック」はそのうち学校で教わるだろう。そのときにあっと思ってくれればいい。テクニックばかり先に覚えてしまうとその元になっている考え方は忘れてしまうだろう。そういえばいま学校では1桁のたし算(結果が10まで)をやっている。宿題で「けいさんカード3回」などが出る。単語カードのようなものの表側に「2+5」「3+1」「4+4」と書かれていて(たとえばこんなようなもの)、それをすばやくめくりながら「なな!」「よん!」「はち!」と声を出すのだ。たし算のしくみはきっちり教えられたうえで、いまはこのカードなのだと思いたい。

筆算の「テクニック」は学校で教わるころまで措いておくことにして(そのうち自分で“発見”するかもしれないしね)、今日もまた棒と丸の図を描いているのであった。

  1. 計算の結果が3桁になることもある。
  2. ただし繰り上がり(「10束が1本できるよね」)や繰り下がり(15-7など)そのものの考え方については教え、何度もブロックで手を動かしてきた。

6÷2(1+2)問題あらため2a÷2a=1問題 — はてなブックマークのコメントに反応してみる

前の記事『「6÷2(1+2)」問題について教育委員会に問い合わせてみた』は、予想以上に多くの人の目に触れたようです。自分のブログでこれほど読まれた記事は過去になく、これまで「はてなブックマーク」というものを気にしたことはありませんでした。今回はそこから導かれてくる人もけっこうあるようなので見てみましたら、そこにいくつかのコメントがありました。言いっぱなしで、それについての反応を期待されていないものとは思いますが、あえて応えてみます。

「6÷2(1+2)」というタイトルについて

最近よく見かけていた「6÷2(1+2)」をタイトルに持って来ましたが、私はその本質を、それが数字だけの式だからというより、『「記号の省略されたかけ算」と「記号の明記されたわり算」の優先順位』の問題だと思っていました。ですから「2a÷2a=1 問題」とでも言ったほうが誤解が少なかったかもしれません。念のため付け加えますが、「÷」を「/」と書いて「2a/2a」でも同じ問題があると思っています。つまり私にとっての関心は、数字か文字かということではなく、「÷」という記号でもない、ということです。

「中学数学もろくに……」について

むしろ中学数学しか知らなければ「2a÷2a=1」に疑問を感じないのかもしれません。そこから先に、高校や大学で数学や物理に触れる機会が増えるほど、この表記を疑わしく感じるのでないかと思います。

私自身がいつからそう思うようになったか、というはじめのところは覚えていませんが、大学のときにその混乱に遭遇したことは覚えています。

1/xy のような簡素なものなら 1/(xy) の意味かと思いやすいかもしれません(それでも疑わしく考えますが)。それよりもやや複雑な k/2(x2+y2+z2) のような形を教科書だか論文だかで目にしました。紙幅を節約するためか、TeXでいう「ディスプレイ形式」ではなく、1行に収めるように表記されている場合、しかも k と 2 の間の線が水平ではなく斜めになっている場合に、この不安が呼び起こされます。そしてこの (x2+y2+z2) は分子の側だっけ、分母の側だっけ、と数ページ前にさかのぼってこの式の導出されるところを確認しなければならないことになります。ゼミのような場面で読み合わせているときにもそれは起こったので、私だけではなくそこに居合わせた学生のみならず教官も含めて、こんなあいまいな書き方はよくないよね、というのがその場での共通認識でした。

中学より後の数学に触れたことのある人で、「2a/2a は 1 か a2 か」と問われて「1 に決まってる」という人はまずいないだろうと思います(私自身が調査をしていませんので断言はしませんが)。はてなブックマークのコメントで「明白だ、中学数学もろくに……、算数できない人……」という人(星を付けた人も含めて)が、いまなぜこれほどいるのか不思議でしかたありません。

「明白」について

私は、

  1. かけ算とわり算の優先順位は同列である
  2. かけ算の記号(×)は省略できる。ab は a×b と同じ
  3. 2a÷2a=1 である

の3つは同時には成り立ち得ない、と理解しています。(1)(2)を前提とするならば、2a÷2a は a2 にしかなりません。

(3)が成り立つと主張する人は、(1)や(2)を否定、つまり、

1′. かけ算の記号を書いたときと省略したときでは意味が違い、省略されたかけ算は明記されたものより優先順位が高い

というルールをいつのまにか導入しています。そうでなければ、どうにも 2a÷2a は 1 になりません。

この(1′)は、学習指導要領や教科書、指導書などに明記されているでしょうか? おそらくないでしょう。(3) を持ち込みながら、一方では (1)(2)を否定しないふりをしている、という姑息な状態になっています。

さてついでに、

というコメントですが、どうもこの人たちの中では、2a は単項式で 2×a は多項式のようです。意味が通じません。

何を測る問題なのか

はてなブックマークのコメントで有益なものはありませんでしたが、そのページからのリンクで発見した『Raccで「6÷2(1+2)」』の後半には、たいへん示唆に富む情報がありました。

https://twitter.com/metameta007/status/576296729949044736から始まる一連のツイートについて,情報源を調べてみました.

自分では探そうともしていなかったので、ありがたい情報です。このような資料を示されると、自分の考えをいくらか改めなくてはならないかもしれません。

しかし、現在においても

  • (1′)が提唱されていたが、数学の世界にひろく浸透していない
  • そのため大抵の人は、紛らわしさを回避するため括弧を使うなど、このルールによる表記法を避けている
  • そのため、ますます(1′)は浸透しない

という状況だと推測します。

「提唱されてはいるが評価が定まっていない」「信用できない」「誤解を招くため書くことがためらわれる」ようなものが入試問題として適切かという懸念は、それでも残ります。上に引用したブログの方は学習指導要領(解説)も調べているようですが、(1′)はあからさまには記述されていないようです。それはなぜかということも気になります。

この設問(簡単に 2a÷2a と書きます)は、何を計測しようとしていることになるのでしょうか。『「単項式を単項式で割る」を理解しているか』を見るつもりなら、2a÷(2a) のように括弧を付けてもその目的を達することができます。曖昧さが排除されているので、今回取り上げたような問題は起こりません。

やはり、入試問題としては不適切と言わざるを得ません。

【2019年2月4日追記】

この記事へのコメントは非常に長大になり、今後この記事を目にする人たちにとっては苦痛とも言えるほどになってしまいました。そのため、この記事へのコメントの受付は2019年2月4日をもって停止します。自由に意見を述べることを封殺する意図はありません。後にここを目にする人たちに対しての配慮です。ご理解ください。

この話題の続編とも言える記事が『「6÷2(1+2)」問題は100年前にも議論されていた』にあります。そちらにコメントしようとする場合は、ここに既にあるコメントと内容的に重複しないよう、慎重に考えた上でお願いします。

「6÷2(1+2)」問題について教育委員会に問い合わせてみた

厳密には「6÷2(1+2)」ではなくて、数字の部分が文字になっているものですが。「かけ算の順序問題」のように、呼びやすい名前があるといいのですが、そうでもないので、最近よく目にする「6÷2(1+2)」をタイトルにしてみました。

さて本題。

記号が省略されたかけ算と、明記されたわり算の優先順位については、検索すればいろいろ見つかります。最近では「6÷2(1+2)=1 or 9 まとめ」など。私は、そのまとめのコメント欄にも登場している黒木さん(過去のtweet)にまったく同意するものです。

入試問題

mondaiそんな中ちょうど、新聞で高校入試の問題を目にしました(画像は試験当日の夕刊)。そこにまさにこの問題が出ていたのです。1(1)ウがそれです。

問い合わせてみた

そこで、これを実施した県教育委員会にメールで問い合わせてみました。

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質問1
新聞では「解答例(県教委)」として本設問の答が「6a」となっていた。これは県教委が発表したものに間違いないか?

質問2
その答は、『「記号の省略されたかけ算」は「記号の明記されたわり算」より優先する』を前提としたときに導かれるが、この理解で正しいか?

質問3
そうだとすると、『「記号の省略されたかけ算」は「記号の明記されたわり算」より優先する』の根拠は何か? できれば典拠を示していただきたい。

質問4
数学において『「記号の省略されたかけ算」は「記号の明記されたわり算」より優先する』は常識ではない。すると本設問の答は「6 a^5 b^4」でもあり得る(ここで ^ はべき乗)。これも正解としないのか?

質問5
以上のように本設問はあいまいであり、入学試験問題としては不適切である。見解を伺いたい。
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回答があった

翌日にさっそくPDFファイルが添付されたメールで回答がありました。PDFといっても、1枚の画像そのままです。PDFにしている意味がよくわかりません。

回答の内容を書き写すと、

  • 答えは、県教委が発表したもので間違いありません。
  • 中学2年の数学『単項式の乗法、除法』において学習しています。
    • (教科書(啓林館)の例)
    • 「平成26年度 全国学力・学習状況調査」の出題例
  • 以上のように、中学校での学習や国の調査問題でも指導されております。このことから、学力検査問題として適切なものと考えております。

ということでした(式の部分はここに書き写すのが難しいのでPDFファイルを見てください)。

これから

こちらからの質問4、「これは数学においては常識ではない」がちょっと弱かったなと反省しています。自分でもそうは思っていたのですが、なるべく早く問い合わせたほうがいいと考えたので、じっくり考えて書く暇がなかったのでした。今回の回答のような“逃げ”を打たれないように、もう少し裏打ちのある根拠をこちらから挙げて聞くことができればよかったと思っています。このへん、どのような質問にすれば有効か、お知恵がありましたらコメントをいただければさいわいです。

ネットでああだこうだ言っていても、それだけで中学校の授業や高校入試の状況に影響を与えるのはなかなか難しいでしょう。しかし、高校入試というのはたいへんいい機会です。今回のように新聞に発表されますし、問い合わせれば出題ミスの可能性がある限り、まじめに検討して回答せざるを得ません。多くの問い合わせがあれば、各教育委員会からさらに本省のほうへ問い合わせが行くようになるかもしれません。少なくとも今回のような問題は「悪問」として、入試では避けよう、となるかもしれません。

何もしないよりはましだろうとまずは行動してみたよ、というお話でした。

【2019年2月4日追記】

この記事へのコメントは非常に長大になり、今後この記事を目にする人たちにとっては苦痛とも言えるほどになってしまいました。そのため、この記事へのコメントの受付は2019年2月4日をもって停止します。自由に意見を述べることを封殺する意図はありません。後にここを目にする人たちに対しての配慮です。ご理解ください。

この話題の続編とも言える記事が『「6÷2(1+2)」問題は100年前にも議論されていた』にあります。そちらにコメントしようとする場合は、ここに既にあるコメントと内容的に重複しないよう、慎重に考えた上でお願いします。