「かけられる数」「かける数」ってわかりやすい言葉なのだろうか

そうこうしているあいだに、小学2年生のスウちゃん(仮名)の冬休みが終わり3学期になりました。2学期末は学校でかけ算をやっていましたが、宿題で持ち帰るプリントやドリルでは、かの有名な「かけ算順序問題」が繰り返し繰り返し出されます。延べ10回は超えているでしょう。しかしスウちゃんはちっとも引っかからず、求められているとおりに答えるので、親としてはやや拍子抜けです。「かけ算順序問題」そのものについては、ここでは深入りしません。既にあちこちで語られているでしょうから。

さて、「6×4 の式でかけられる数はどちらですか」のような設問も見られます。この「かけられる数」という言葉(言い回し)は、どうにも分かりにくいと感じます。大人でも混乱しそうです。少なくとも私はそうです。たぶん「受け身」(受動態)という形が普通ではないからでしょう。私はしばらくあるフリーソフトの翻訳に関わっていましたが、そこでも日本語の訳文は「できるだけ受け身にしない」という指針でした。

毎年数万人、延べ何百万人の先生方は疑問に思わないのでしょうか? まあ先生ほど普段から使っているから身についてしまって何とも思わないのかもしれません。百歩譲って、「かけられる数」「かける数」の区別が重要だとしても(それは教える側の問題であって、子どもたちがそれを意識する必要はないというのが私の考えです)、たとえば「はじめの数」や「もとになる数」、もっと簡単に「もとの数」とかいう語ではだめなのでしょうか。だいぶましだと思うのですが。そういう語だと加減乗除のどの場合にも左側の数をそう呼べるので、統一的な理解にもつながりそうにも思います。そうしない理由がどこかにあるのでしょうか。

ところで、念のために「かけ算順序問題」についての私の考えをさらっと書いておきます。

  • 教室で子どもたちに順序つきで教えること自体に異論はない。逆順も教えなければならないとも思わない。
  • ただし、子どもが逆順で答えてきたものを☓にしてはならない。したがって順序を問うような問題はナンセンス。

繰り下がりのあるひき算で、「減減法は筆算でつまづく」か

スウちゃん(仮名)は2年生になり、小学校でも筆算を習うようになった。早い時期から位取りの概念を掴んでいてもらいたく、家では1桁どうしのころから筆算に慣らしていたので、特に苦労はないようだ。

学校の宿題のドリルをやるのを脇で観察していたらスウちゃんが「自分のやり方でやってもいい?」と聞く。何のことかと思って「いいよ」と返事をして見ていると……。

32-19たとえば「32-19」の場合、スウちゃんは次のようにやる。

  • 2から9はひけない。そこで9から2をひいて、7
  • その7を10からひくと「3」。これを一の位のところに書く
  • 十の位の計算はさきほど使ったぶんの1を減らして、「1」

父である私は多数派(たぶん)のやり方、「10から9をひいて1、それを2とたして3」とやる。調べてみると自分のやり方には「減加法」という呼び名があるようだ。それに対して「減減法」というのがあって、「9のうちひけるだけの2をひいて、ひききれなかった7を10からひいて3」とやるらしい。スウちゃんのやり方は「減減法」の亜種という感じだ。

調べていて、「減減法は筆算でつまづく」というのを何回か見かけた。そうだろうか。

スウちゃんは、筆算の問題をたくさん見ているうちにこの「法則」を発見(という言葉は使わなかったけれど)したとのこと。だから筆算のときだけこのやり方になる。というか彼女の中ではこのやり方自体が「筆算」という解法の一部らしい。それなりに理にかなっており筆算の邪魔になってはいないように見える。将来何か困ることがあるのだろうか。

スウちゃんのやり方は、この論文では「誤りのパターン」と言われている

スウちゃんに繰り下がりの意味をあらめて聞いてみると、学校でも習ったとおりにきちんと説明できる。それに、1年生のときの「20未満ひく1桁のひき算(繰り下がり)」は「ひき算カード」で何か月も宿題として暗唱させられていたから、それはすらすらと口から出てくる。

いずれにしろ、機械的に計算する(筆算とはそもそもそういうものだと思うが)場合はともかく、「ひき算」や「繰り下がり」の意味を見失わないようにしておくことが肝心なのだろう。

先取りなのか回り道なのか—さんすう編—

長いあいだこのブログも更新していなかったが、そうするうちにスウちゃん(仮名)は1年生になった。

8か月ほど前に「ドミノとさんすう」で、その頃の“さんすうのおべんきょう”について書いてみたのだが、現在の状況についてメモしておこう。なお家での独自の“べんきょう”についてであって、学校でのさんすうや宿題は、これとはまた別にあるのは言うまでもない。

前の記事の『ふたたび「さんすう」』の節にも書いたとおり、筆算(縦書き)をかなり早めに(ほとんど意味がないと思える1桁どうしの計算のころから)教えてきた。また、ブロックを使っていたものが2桁どうしになるとほぼ無理となり、簡単な図を描くように変わってきた。

現在(小学校1年生の6月末)は、2桁どうし[1]のたし算・ひき算の筆算を、脇に図を書きながらやっている。とにかくたし算・ひき算だ。かけ算は1桁どうしもやっていなければ、図形もやっていない。

こちらが問題を考えて作ってやるのが面倒なので、半自動で作成するようにした。つまり、LaTeX の emath マクロを利用して、その中の

を使って、A4横置きの紙に20問(たし算かひき算かはランダム)を出力するようにした。スウちゃんは気が向いたら(それは退屈でほかにやることがないときか)これをプリントして、やっている。

繰り上がりや繰り下がりのときの「筆算でのテクニック」—上に1を書くだの—は教えていない[2]。そのため、脇に図を描いては「10の束が何本、ばらが何個」というふうにやっている。わりと間違えないし、そこそこ速くできるものだ。

「テクニック」はそのうち学校で教わるだろう。そのときにあっと思ってくれればいい。テクニックばかり先に覚えてしまうとその元になっている考え方は忘れてしまうだろう。そういえばいま学校では1桁のたし算(結果が10まで)をやっている。宿題で「けいさんカード3回」などが出る。単語カードのようなものの表側に「2+5」「3+1」「4+4」と書かれていて(たとえばこんなようなもの)、それをすばやくめくりながら「なな!」「よん!」「はち!」と声を出すのだ。たし算のしくみはきっちり教えられたうえで、いまはこのカードなのだと思いたい。

筆算の「テクニック」は学校で教わるころまで措いておくことにして(そのうち自分で“発見”するかもしれないしね)、今日もまた棒と丸の図を描いているのであった。

  1. 計算の結果が3桁になることもある。
  2. ただし繰り上がり(「10束が1本できるよね」)や繰り下がり(15-7など)そのものの考え方については教え、何度もブロックで手を動かしてきた。

6÷2(1+2)問題あらため2a÷2a=1問題 — はてなブックマークのコメントに反応してみる

前の記事『「6÷2(1+2)」問題について教育委員会に問い合わせてみた』は、予想以上に多くの人の目に触れたようです。自分のブログでこれほど読まれた記事は過去になく、これまで「はてなブックマーク」というものを気にしたことはありませんでした。今回はそこから導かれてくる人もけっこうあるようなので見てみましたら、そこにいくつかのコメントがありました。言いっぱなしで、それについての反応を期待されていないものとは思いますが、あえて応えてみます。

「6÷2(1+2)」というタイトルについて

最近よく見かけていた「6÷2(1+2)」をタイトルに持って来ましたが、私はその本質を、それが数字だけの式だからというより、『「記号の省略されたかけ算」と「記号の明記されたわり算」の優先順位』の問題だと思っていました。ですから「2a÷2a=1 問題」とでも言ったほうが誤解が少なかったかもしれません。念のため付け加えますが、「÷」を「/」と書いて「2a/2a」でも同じ問題があると思っています。つまり私にとっての関心は、数字か文字かということではなく、「÷」という記号でもない、ということです。

「中学数学もろくに……」について

むしろ中学数学しか知らなければ「2a÷2a=1」に疑問を感じないのかもしれません。そこから先に、高校や大学で数学や物理に触れる機会が増えるほど、この表記を疑わしく感じるのでないかと思います。

私自身がいつからそう思うようになったか、というはじめのところは覚えていませんが、大学のときにその混乱に遭遇したことは覚えています。

1/xy のような簡素なものなら 1/(xy) の意味かと思いやすいかもしれません(それでも疑わしく考えますが)。それよりもやや複雑な k/2(x2+y2+z2) のような形を教科書だか論文だかで目にしました。紙幅を節約するためか、TeXでいう「ディスプレイ形式」ではなく、1行に収めるように表記されている場合、しかも k と 2 の間の線が水平ではなく斜めになっている場合に、この不安が呼び起こされます。そしてこの (x2+y2+z2) は分子の側だっけ、分母の側だっけ、と数ページ前にさかのぼってこの式の導出されるところを確認しなければならないことになります。ゼミのような場面で読み合わせているときにもそれは起こったので、私だけではなくそこに居合わせた学生のみならず教官も含めて、こんなあいまいな書き方はよくないよね、というのがその場での共通認識でした。

中学より後の数学に触れたことのある人で、「2a/2a は 1 か a2 か」と問われて「1 に決まってる」という人はまずいないだろうと思います(私自身が調査をしていませんので断言はしませんが)。はてなブックマークのコメントで「明白だ、中学数学もろくに……、算数できない人……」という人(星を付けた人も含めて)が、いまなぜこれほどいるのか不思議でしかたありません。

「明白」について

私は、

  1. かけ算とわり算の優先順位は同列である
  2. かけ算の記号(×)は省略できる。ab は a×b と同じ
  3. 2a÷2a=1 である

の3つは同時には成り立ち得ない、と理解しています。(1)(2)を前提とするならば、2a÷2a は a2 にしかなりません。

(3)が成り立つと主張する人は、(1)や(2)を否定、つまり、

1′. かけ算の記号を書いたときと省略したときでは意味が違い、省略されたかけ算は明記されたものより優先順位が高い

というルールをいつのまにか導入しています。そうでなければ、どうにも 2a÷2a は 1 になりません。

この(1′)は、学習指導要領や教科書、指導書などに明記されているでしょうか? おそらくないでしょう。(3) を持ち込みながら、一方では (1)(2)を否定しないふりをしている、という姑息な状態になっています。

さてついでに、

というコメントですが、どうもこの人たちの中では、2a は単項式で 2×a は多項式のようです。意味が通じません。

何を測る問題なのか

はてなブックマークのコメントで有益なものはありませんでしたが、そのページからのリンクで発見した『Raccで「6÷2(1+2)」』の後半には、たいへん示唆に富む情報がありました。

https://twitter.com/metameta007/status/576296729949044736から始まる一連のツイートについて,情報源を調べてみました.

自分では探そうともしていなかったので、ありがたい情報です。このような資料を示されると、自分の考えをいくらか改めなくてはならないかもしれません。

しかし、現在においても

  • (1′)が提唱されていたが、数学の世界にひろく浸透していない
  • そのため大抵の人は、紛らわしさを回避するため括弧を使うなど、このルールによる表記法を避けている
  • そのため、ますます(1′)は浸透しない

という状況だと推測します。

「提唱されてはいるが評価が定まっていない」「信用できない」「誤解を招くため書くことがためらわれる」ようなものが入試問題として適切かという懸念は、それでも残ります。上に引用したブログの方は学習指導要領(解説)も調べているようですが、(1′)はあからさまには記述されていないようです。それはなぜかということも気になります。

この設問(簡単に 2a÷2a と書きます)は、何を計測しようとしていることになるのでしょうか。『「単項式を単項式で割る」を理解しているか』を見るつもりなら、2a÷(2a) のように括弧を付けてもその目的を達することができます。曖昧さが排除されているので、今回取り上げたような問題は起こりません。

やはり、入試問題としては不適切と言わざるを得ません。

「6÷2(1+2)」問題について教育委員会に問い合わせてみた

厳密には「6÷2(1+2)」ではなくて、数字の部分が文字になっているものですが。「かけ算の順序問題」のように、呼びやすい名前があるといいのですが、そうでもないので、最近よく目にする「6÷2(1+2)」をタイトルにしてみました。

さて本題。

記号が省略されたかけ算と、明記されたわり算の優先順位については、検索すればいろいろ見つかります。最近では「6÷2(1+2)=1 or 9 まとめ」など。私は、そのまとめのコメント欄にも登場している黒木さん(過去のtweet)にまったく同意するものです。

入試問題

mondaiそんな中ちょうど、新聞で高校入試の問題を目にしました(画像は試験当日の夕刊)。そこにまさにこの問題が出ていたのです。1(1)ウがそれです。

問い合わせてみた

そこで、これを実施した県教育委員会にメールで問い合わせてみました。

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質問1
新聞では「解答例(県教委)」として本設問の答が「6a」となっていた。これは県教委が発表したものに間違いないか?

質問2
その答は、『「記号の省略されたかけ算」は「記号の明記されたわり算」より優先する』を前提としたときに導かれるが、この理解で正しいか?

質問3
そうだとすると、『「記号の省略されたかけ算」は「記号の明記されたわり算」より優先する』の根拠は何か? できれば典拠を示していただきたい。

質問4
数学において『「記号の省略されたかけ算」は「記号の明記されたわり算」より優先する』は常識ではない。すると本設問の答は「6 a^5 b^4」でもあり得る(ここで ^ はべき乗)。これも正解としないのか?

質問5
以上のように本設問はあいまいであり、入学試験問題としては不適切である。見解を伺いたい。
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回答があった

翌日にさっそくPDFファイルが添付されたメールで回答がありました。PDFといっても、1枚の画像そのままです。PDFにしている意味がよくわかりません。

回答の内容を書き写すと、

  • 答えは、県教委が発表したもので間違いありません。
  • 中学2年の数学『単項式の乗法、除法』において学習しています。
    • (教科書(啓林館)の例)
    • 「平成26年度 全国学力・学習状況調査」の出題例
  • 以上のように、中学校での学習や国の調査問題でも指導されております。このことから、学力検査問題として適切なものと考えております。

ということでした(式の部分はここに書き写すのが難しいのでPDFファイルを見てください)。

これから

こちらからの質問4、「これは数学においては常識ではない」がちょっと弱かったなと反省しています。自分でもそうは思っていたのですが、なるべく早く問い合わせたほうがいいと考えたので、じっくり考えて書く暇がなかったのでした。今回の回答のような“逃げ”を打たれないように、もう少し裏打ちのある根拠をこちらから挙げて聞くことができればよかったと思っています。このへん、どのような質問にすれば有効か、お知恵がありましたらコメントをいただければさいわいです。

ネットでああだこうだ言っていても、それだけで中学校の授業や高校入試の状況に影響を与えるのはなかなか難しいでしょう。しかし、高校入試というのはたいへんいい機会です。今回のように新聞に発表されますし、問い合わせれば出題ミスの可能性がある限り、まじめに検討して回答せざるを得ません。多くの問い合わせがあれば、各教育委員会からさらに本省のほうへ問い合わせが行くようになるかもしれません。少なくとも今回のような問題は「悪問」として、入試では避けよう、となるかもしれません。

何もしないよりはましだろうとまずは行動してみたよ、というお話でした。

ドミノとさんすう

ドミノ

スウちゃん(仮名、6歳)は保育園から帰るととにかく「遊びたい」。眠っていないあいだはとにかく遊び続けなければ死んでしまうというくらい遊びたい。といって家や近所に子どもはいないから、一人遊びじゃなければ大人が相手をすることになる。いろんなゲームもやってきた。カルタ、すごろく、どうぶつしょうぎ、オセロ……。そして最近の流行はドミノだ。

【DOMINO W6 in The Wooden Box】木箱入プラスチック製ドミノ W6 白黒Premium Set of 55 Double Nine Dominoes with Wood Case, Brown いまうちにあるのは私(=スウちゃんの父)が学生の頃に麻雀牌も売っているようなおもちゃ屋で買ったもの。でもいま日本でちゃんとしたもの[1]はあまり売っていなさそうだ。「木箱入プラスチック製ドミノW6白黒」だと真ん中に鋲がないなあ。Amazon USA のダブル・ナインは鋲あり。日本から買うと送料が本体と同じくらいかかってしまう。

ルールは「ファイブ・アップ」(参考1参考2)。

しばらくは点数関係なしで、札の出し方を学習。ゲームとなれば子どもは簡単に覚える。

続いてプレイ中の得点。どれを出せば得点になるかなんて戦略もないのでとにかく出せるものを出す。たし算ができないので、出したものを大人が計算してやる。「5の倍数だったら、5で割った商が得点」なのだが、意外に早く5の倍数を覚える。「15」→「3点!」、「20」→「4点!」のように[2]

終了時は「相手の手に残った目の合計を5で割った値(うちでは端数切り捨てというローカルルール)」でやっているが、これも合計を大人がやってやれば「その中に5はいくつ入ってる?」と聞けばほぼ得点を出せる。九九で言えば「5の段」が、それも九九とは全然別の形で頭に入っているらしい[3]。ゲームだとこんなことまでできるんだなあ。

まともな勝負には程遠いが、とりあえずなんとかゲームの体をなすことはできる。さて、大人は手札を元に計算しながら出せるので、強い。同じ札でもあっちに出せば得点できるのにこっちに出すと得点できないということも起こる。子どもはだんだん悔しくなってくる。ここで「たしざんができるようにならないとつよくなれないねー」ということになる。

たたみかけるように、ここでダブル・ナインのセットに替えて同じゲームをやると目の数がぐっと増えるので、それまではたし算できなくても目を数えあげて何とか出来ていたものも追いつかなくなり、いよいよ悔しさをつのらせる。

さんすう

1年ほど前、何の拍子だったか忘れたけれど数に興味を示して、そのうち「同じ数を2回」、つまり「2と2は4」「3と3は6」「4と4は8」……を言えるようになっていた。九九で言えば「2の段」に相当する。せっかくそういう興味が出てきたのならちゃんとやってあげようか、などと考えて、道具を揃えてみた。

カラフルマスキューブ テキストには「わかるさんすう 1」。かなり古くまた検定は通しはしないけれど「教科書」としてしっかり練られたものということを知っていたので、これにしてみた。Amazon では手に入りにくいが、ふつうに街の本屋さんで注文したら簡単に入手できた。

わかるさんすう 1」では、「タイル」を使う。手作りでもいいけれど、横着して買うことにした。「タイル」ではなくて「キューブ」。似たような商品もあるが、安さと、それに「接続できる」ということでこれにした。またちょっと別のもので「100だまそろばん」というのもよく評判を聞くが、やはり自由さの点でキューブにした。

2カラーせんせい 紙が潤沢に使えるのであればそれがいいのだろうけれど、きりがないのでうちではもっぱらおえかきボードを活用している。

いまは2色の「2カラーせんせい」なんだな。うちにあるのはおさがりでもらった「スーパーせんせい」で1色のもの。元の持ち主は4歳くらいでもう飽きて遊ばなくなったからと、スウちゃんが1歳か2歳のころにもらったものだが、うちではいまだ現役。でもこういう用途だと、もうすこし画面が大きく、また解像度が高いといいなと思う。

さてさて、今から1年ほど前にこうして「さんすう」をやりかかってみたけれど、スウちゃんははじめのあいだはともかく、ほどなく興味を失ってしまった。こちらも是が非でも早期教育をとも思っていなかったし、ただ、もし数に興味を示すのなら(ほら数学の天才は幼児期からそうだと言うでしょう)その芽を摘まなくても、という程度の考えだったので、めったに日の目を見なくなっていた。つまりスウちゃんは数学に関しては天才ではなかったわけだが。

ふたたび「さんすう」

時は戻ってふたたび現在。ドミノのおかげで、たし算をできるようになりたい、という気がスウちゃんに俄然湧いてきた。こうなると見向きもしなかったテキストとキューブ(ブロック)に取り組み始める。

いまは

  • 5-2進法は強くこだわらないことにする。本人がどちらが楽かまだわからないので。
  • たし算を同時にひき算も教える。「7は5と2だから……」のように、たし算の過程でひき算に相当する部分が出てくるので。
  • ほとんど最初から筆算(縦書き)にする。この先の繰り上がりを見据えて。
  • 適宜ブロックを使う。
  • いまのところ、素過程を網羅的に、とは考えない。これは「水道方式」のいいところを落としているのかもしれないけれど。少し先にひき算(13−7など)をやるときに困るかもしれない。そのへんは行きつ戻りつやればいいか。
  • 文章題も適宜。逆に「たし算の問題を作る」ような作業も多めに。

という感じで進めている。

自由な発想

スウちゃんはすごろくなどのゲームやドミノでサイコロ(の目の形)に親しんでいたからか、「6は3と3」の意識が強い。5-2進法のための「6は5と1」とはなかなかならない。そこで「6+3」を計算する際はブロックを3×2に並べ、そこに3つのブロックを加えて3×3の形にし、「こたえは9」になる。どうやらイメージ先行らしい。

この先の発展のためにはどうかとも思うが、まだカリキュラムに沿った学習をしていない子どもの発想は自由でおもしろい。「8−2」は、まず2×2×2の立方体を作って「8」。なんだそれ。3次元じゃないか。2の3乗だよ。それから2つをとり、変形させて3×2にして「6」。このへんはボール紙で作ったタイルじゃなくて、縦横に接続できるカラフルマスキューブにしていたからこそだったかもしれない。

世の中、算数だけで出来ているわけではないから、小学校に入って型通りの授業が始まるまではこの自由な発想を楽しむことにしよう。

さて、こんな調子でスウちゃんはドミノが上手になれるだろうか。

  1. と言っても、うちのもさすがに象牙製ではない。ドミノ倒し用ではなく樹脂製の適度な重みのもの。
  2. これと同時期に時計の分針を読めるようになり、「ドミノといっしょ!」と叫んでいる。
  3. いまの段階で九九の暗誦なんて絶対にやらせたくない。