「6÷2(1+2)」問題は100年前にも議論されていた

明示されない乗算と除算記号の演算順序について、記事『「6÷2(1+2)」問題について教育委員会に問い合わせてみた』『6÷2(1+2)問題あらため2a÷2a=1問題 — はてなブックマークのコメントに反応してみる』を書いたのは2015年3月でした。そのときですら既に周回遅れで、検索してみるとその2,3年前にも話題になっていたようです。そして年に数回ほど、突然ばっとこの記事へのアクセスが増えることがあります。どこかで話題になり、検索してたどり着くのでしょう。

私はこの問題に特に興味を持っているわけでもなく、その後を追っているわけでもないのですが、今年(2019年)に入ってまた急にアクセスが上昇したので、思い出したように自分でも検索してみたところ、興味深い例を見つけました。

Lennes, N. J. “Discussions: Relating to the Order of Operations in Algebra.” The American Mathematical Monthly 24.2 (1917): 93-95. Web. https://www.jstor.org/stable/2972726

です。内容をかいつまんでみると、

  • 理論的には、演算順序は左から右なので、9a2÷3a = 3a3 であって 3a ではない。
  • しかし実際には、9a2÷3a = 3a のような例ばかりが見られる。
  • 当時の Chrystal の代数の教科書では、これを避けるため、乗算記号のない積を除算記号の直後に置かないよう注意深く書かれていた。
  • それに続くいろいろな人による教科書ではその注意が足りず、10bc\div 12a = \frac{(10bc)}{(12a)} などと書かれた。
  • 9a2÷3a は 3a を意味して 3a3 ではない、というのは「数学の慣用表現」である(英単語 drink の過去形が drank であって drinked でないように)。
  • これは論理的ではなく、歴史的な事柄である。

というものです。

以前の私の記事には、なんとか 9a2÷3a が 3a であることの理論的(?)根拠を示そうと、多くのコメントが付きました。私にはさっぱり響きませんでしたが。それが100年も前に「理論ではない、“慣用表現”だ」と喝破されていたのでした。古い文献に 9a2÷3a が 3a のような例があることをもって、それみろと言わんばかりにこれを主張する人がありましたが、むしろ逆で、古い文献にあるからこそ「歴史的遺物」とも言えるわけです。

以前の記事へのコメントに答えて私も「Smith の第33条で、(a÷b÷cは)「a÷bcと書くこともあるよ」と、ほんのおまけのように付け加えていることは、ただこの慣習に触れているにすぎないのではなかろうか、と思わされました。」(2015年3月18日のコメント)と書いています。今あらたにその思いを強くしています。

繰り返しますが、私はこの問題に特段の興味があるわけでもなく緻密に議論を追っているわけでもありません。その私は今、

  • ずっと昔は、乗算と除算の優先順位が同等でない考え方もあった。“If an arithmetical or algebraical term contains ÷ and ×, there is at present no agreement as to which sign shall be used first.” (Cajori ”A History of Mathematical Notations” 1928–29)
  • 「慣習的に」9a2÷3a が 3a であるような表記もしばしば行われた。
  • 既に100年前に、それは慣習的・歴史的なものであり、理論的ではないと指摘されていた。
  • 理論的でない表記は廃れるかと思われたが、いつしか「慣習的」であることが抜け落ちた。
  • 今日でも中学生にはこれが「慣習的・歴史的」とは告げずに教えられている。

のような流れではなかろうかと推測しています。

この Lennes (1917) の存在を教えてくれたのは、今回検索していて見つけた動画でした。

私の記事よりは後の2016年に公開され、現在(2019年)までに1千万回以上も視聴され、7万件以上のコメントが付いています。もちろんすべてのコメントを見ることはできていませんが、ざっとみたところ「1派」も「9派」もたくさんいます。このことからはっきりわかるのは、この問題は「あいまい」であるということです。

以前の記事へのコメントでも書きましたが、この問題についての私の考えは次のとおりです。それは上述の100年前の指摘を知った今も変わりません。

ab÷ab を ab÷(ab) と書きさえすれば誰もあいまいだとは思いません。中学校でもこの表記で教えて何か困ることがあるでしょうか。括弧を付けても単項式の除算の意味を教えるのに何の不都合もありません。現状のあえて括弧を付けない ab÷ab でしか表せない何かがありますか。ab÷ab と書かなければならない必然性がどこにもありません。(2016年3月7日のコメント)
「すべき」ことは、むしろ括弧を使うことです。別の解釈をさせたければ ab÷(ab) と、括弧をつかう「べき」です。単項式わる単項式の理解度を計測するのに、括弧を使っても何の不都合もありません。(2018年9月4日のコメント)

【この記事にコメントする際の注意】

この話題に関する以前の記事『「6÷2(1+2)」問題について教育委員会に問い合わせてみた』『6÷2(1+2)問題あらため2a÷2a=1問題 — はてなブックマークのコメントに反応してみる』には非常に多くのコメントが付けられ、後から読む人が苦労するほどになってしまいました。そのため、それらの記事へのコメントの受付を停止します。

この記事へのコメントは、それらの記事に既に付けられているコメントと同内容と私が判断するものは、原則として不掲載とし、削除することをあらかじめ宣言しておきます。自由に意見を述べることを封殺する意図はありません。後にここを目にする人たちに対しての配慮です。ご理解ください。

“「6÷2(1+2)」問題は100年前にも議論されていた” への 26 件のフィードバック

  1. いまいち、何を言っているのか良く分からないです。

    >理論的には、演算順序は左から右なので、9a²÷3a = 3a³ であって 3a ではない

    とのことですが、「9a²÷3a」は「9a² を 3a で割る」という意味ですよね?
    「9a² を 3a で割る」と「3a³ になる」と言っているのですか?

    返信
    1. それは参考文献の主張であって、単に私が抄訳した箇所ですので、私に言うよりも元の文献をお読みください。「いまいち、何を言っているのか良く分からない」のなら、コメントするのはわかるようになってからにしてください。あらかじめ宣言しているとおり、このような内容のコメントは削除することがあります。ご了承ください。

      返信
  2. 数学のルールって、厳密に決まっているようで、慣習的なものがありますね。たとえば、sin2θ=sin(2θ)なのにsinθcosθ=(sinθ)cosθなのも不思議ですが慣習的なのだと思います。9a^2÷3aについても、100年も前から「=3aとする例ばかり」であり、今なおそう(例えばフィジカルレビューの論文投稿要綱はそうらしいです)なのですから、学校で3aを正解とするルールで教えているのも致し方ないという印象です。drinkの過去形はdrankであると教えているように。

    返信
  3. 論文をちょっと読んでみましたが、Lennes氏は慣用表現の使用を否定しているのではないんですね。
    むしろ逆で、「代数の知識がある人なら誰でも 9a²÷3a=3a(≠3a³)と考える。ゆえに、(この慣用的な)ルールは、実際の使用法に基づいて決定された、正しいルールだ。」と言っているようです。
    論文を引用したYoutubeの動画も6÷2(1+2)=1を正解としているみたいですね。

    返信
    1. 匿名氏は元に当たった上でじゅうぶんご承知のこととは思いますが、このようにまとめられると「正しい」という語の印象が強くて、これだけを見てまた微妙に誤解する人が出てくるような気もしますので、補足しておきます。ここを見る人には、元の英文はとても短いので直接目を通されることをお勧めします。

      > (この慣用的な)ルールは、実際の使用法に基づいて決定された、正しいルールだ。」と言っているようです。

      訳し方にもよると思うのですが、「(1917年当時)巷にあふれているこの表記を解釈するには」という文脈のうえで、そうだと言っているのだと思います。

      Lennes は、この表記を使い続けることがいいかどうかには言及していません。むしろ、(大御所はそれを避けたが)多くの追随者は注意が足りなかった、とネガティブに(と私には思えました)書いています。

      > 論文を引用したYoutubeの動画も6÷2(1+2)=1を正解としているみたいですね。

      これはちょっと違うような。
      動画の前半は 6÷2(1+2) が 9 になる説明をして、ちょうど真ん中あたりの 2:00ころ に This is, without a doubt, the correct answer to this expression as written accroding to the modern usage of the order of operations. と結論しています(字幕参照)。その後に、6÷2(1+2) が 1 になるのは historical usage と説明しています。

      ここからは私の意見ですが、英単語の drank と違うのは、この表記は避けることができる(すなわち分数表記とか括弧使用とかによって)ということです。

      返信
  4. ———————————-
    私は、
    1.かけ算とわり算の優先順位は同列である
    2.かけ算の記号(×)は省略できる。ab は a×b と同じ
    3.2a÷2a=1 である

    の3つは同時には成り立ち得ない、と理解しています。(1)(2)を前提とするならば、2a÷2a は a2 にしかなりません。

    (3)が成り立つと主張する人は、(1)や(2)を否定、つまり、

    1′. かけ算の記号を書いたときと省略したときでは意味が違い、省略されたかけ算は明記されたものより優先順位が高い

    というルールをいつのまにか導入しています。そうでなければ、どうにも 2a÷2a は 1 になりません。
    ———————————-

    つまり、例えば「2÷a×bを2÷abと書く(書いてよい、書くのが正しい)」ということなのだと理解しました。

    a×bをabと書く。
    私「はい、書きます。」
    2+a×bを2+abと書く。
    私「はい、書きます。」
    2÷a×bを2÷abと書く。
    私「いいえ、書きません。[分数の形で、分母にa、分子に2b]と書きます。」

    2÷a×bを、×の記号を省略しつつ÷の記号をどうしても使えというのであれば、2b÷aと書きます。
    [分数の形で、分母にa、分子に2b]の式を÷だけ復活させると2b÷aだからです。

    「2.かけ算の記号(×)は省略できる。ab は a×b と同じ」だけれども、2÷a×bは2÷abとは書かず、分数の形で書く。÷を書くのであれば、分数の形を復活させた式にする。

    私はこのように理解しているのですが、私の理解は間違っていますか?
    間違っているとすれば、どこでしょう?

    返信
    1. どこにも間違いはない、私はそう思っています。

      さて、では[分数の形で、分母に2a、分子に2a]を÷だけ復活させた式はどう書くのか。

      特に明確なルールが設定されているわけではなく、「習慣的に」(数だけの場合と同じように)、2a÷2aと書いているだけだろうと思っています。
      (明確なルールが設定されていないからこそ、a/b/cなどは混乱します。)

      で、この「慣習的に」書くことは拙いこと(誤解を与えること、混乱を招くもと)なのか? というと、そんなことは無く、むしろルールにのっとっているというのが、私の理解です。

      2a÷2aという式は、「本来[分数の形で、分母に2a、分子に2a]と書くものを÷を使って書いた」と考えればいいだけだからです。(というより、考えるべきだからです。)
      分母がどれか分子がどれかは明らかですし、何も困りません。
      多くの人は、そう考えたのと同じ結果になる処理をしています。

      中学校1年の教科書で学ぶルールは、
      A「文字式では、乗法の記号×をはぶいてかく。」
      B「数と文字の積では、数を文字の前にかく。」
      C「同じ文字の積は、累乗の形にかく。」
      D「文字式では、除法の記号÷を使わないで、分数の形にかく。」
      だけです。
      アルファベット順にかく等もありますが、あとは「これまでの数だけのときと同じように」です。

      学習するルールはA~Dだけですし、何も「1′. かけ算の記号を書いたときと省略したときでは意味が違い、省略されたかけ算は明記されたものより優先順位が高い」など、持ち出す必要はありません。
      ÷の記号を使う前の「もとの分数の形は?」と考えるだけです。

      使っていないようにみえても、Dを使うのがルールなのですから「使った」ものとしなければなりません。使ったのですから「もとの」です。
      2a÷2aは明らかにAを使っています。だからDも使ったものとみなすのです。

      「1.かけ算とわり算の優先順位は同列である」ので、AとDは同等に扱うものです。
      にもかかわらず、「Aだけは使うがDは使わない」なんてことをしたら混乱します。

      2a÷2aは「AもDも使った」のであり、それでも÷が書かれているのですから、先ずは、AもDも使った分数の形は? と考えなければなりません。
      そうしないと、Aだけ使ってDを使わないことになってしまうからです。

      2a÷2aという文字式、もとの分数の形は?

      結果は明らかです。

      「Aだけは使うがDは使わない」で混乱する典型が、2a÷2a=2×a÷2×aでしょうね。

      返信
    2. 浮浪さんへ

      >間違っているとすれば、どこでしょう?

      知恵袋に書いてあったのですが、たぶん、一番上の
      >1.かけ算とわり算の優先順位は同列である

      の解釈が間違っていると思います。

      これを
      >1.×記号と÷記号の優先順位は同列である

      と解釈すれば、1′ のルールがなくても
      普通に 2a÷2a=1 になると思うのですがどうですか?

      返信
  5. ゆっきーさんへ

    冒頭の
    ———————————-
    私は、
    1.かけ算とわり算の優先順位は同列である
    2.かけ算の記号(×)は省略できる。ab は a×b と同じ
    3.2a÷2a=1 である

    の3つは同時には成り立ち得ない、と理解しています。(1)(2)を前提とするならば、2a÷2a は a2 にしかなりません。

    (3)が成り立つと主張する人は、(1)や(2)を否定、つまり、

    1′. かけ算の記号を書いたときと省略したときでは意味が違い、省略されたかけ算は明記されたものより優先順位が高い

    というルールをいつのまにか導入しています。そうでなければ、どうにも 2a÷2a は 1 になりません。
    ———————————-
    は、引用文です。

    「Makoさんへ」と書いて始めるべきだったなと反省しています。

    私(浮浪)は、「1′ のルールがなくても普通に 2a÷2a=1 になる」と思っています。
    そのことを書いたつもりでした。

    では、改めて。

    Makoさんへ
    ————————
    私は、
    1.かけ算とわり算の優先順位は同列である
    2.かけ算の記号(×)は省略できる。ab は a×b と同じ
    3.2a÷2a=1 である

    の3つは同時には成り立ち得ない、と理解しています。(1)(2)を前提とするならば、2a÷2a は a2 にしかなりません。

    (3)が成り立つと主張する人は、(1)や(2)を否定、つまり、

    1′. かけ算の記号を書いたときと省略したときでは意味が違い、省略されたかけ算は明記されたものより優先順位が高い

    というルールをいつのまにか導入しています。そうでなければ、どうにも 2a÷2a は 1 になりません。
    ————————
    「私は、」ですから、「そうですか」としか言いようがありませんが、この主張は間違いであること、ご理解いただけたでしょうか?

    ルールは
    A「文字式では、乗法の記号×をはぶいてかく。」
    B「数と文字の積では、数を文字の前にかく。」
    C「同じ文字の積は、累乗の形にかく。」
    D「文字式では、除法の記号÷を使わないで、分数の形にかく。」
    です。

    「1.かけ算とわり算の優先順位は同列である」のですから、AとDは同等に扱います。一方が優先されるということはあり得ません。

    A~Dのルールとは別に、
    分数の形にかいた式は÷の記号を使って書くことができます。
    「どっちが分母でどっちが分子だっけ?」と迷う子もいますが、まさか「Dのルールが不備だから」みたいなことをいう人はいないでしょう。文字式以前の話です。

    2×a÷2÷aにA~Dのルールを適用させると、[分数の形で、分母に2a、分子に2a]となり、これ以外にはなりません。
    そして、[分数の形で、分母に2a、分子に2a]は2a÷2aと書くことができます。
    だから、2×a÷2÷a=2a÷2aなのです。

    くどいようですが、2×a÷2÷a=2a÷2aです。
    (2×a÷2×aは2a÷2aにはなりません。)

    ところで、A~Dのルールとは別に、
    2×a÷2÷aは2×a÷(2×a)と書くことができます。
    ( )がどこから湧いてきたんだ?とかいう話ではありません。
    1÷2÷3÷4=1÷(2×3×4)だということです。文字式以前の話です。

    よって、
    2×a÷2÷a=2a÷2a
    2×a÷2÷a=2×a÷(2×a)
    だから、
    2a÷2a=2×a÷(2×a)
    なのです。
    ご覧のとおり、「かけ算の記号を書いたときと省略したときでは意味が違い、省略されたかけ算は明記されたものより優先順位が高い」などというルールは使っていません。

    2a÷2a=2×a÷(2×a)としているのではなく、2a÷2a=2×a÷(2×a)になるのですから、熊倉啓之氏の論文にあるように、「かけ算記号が省略された部分については、優先して計算を行う」としてよいのです。
    その方が手際よく処理できたり、ミスが減ったりするのであれば、推奨されてよいでしょう。

    ともあれ、
    「1′. かけ算の記号を書いたときと省略したときでは意味が違い、省略されたかけ算は明記されたものより優先順位が高いというルールをいつのまにか導入しています。そうでなければ、どうにも 2a÷2a は 1 になりません。」
    という主張は間違っています。
    「そうでなければ」と思っても構いませんが、間違っていることはご理解ください。

    以上、Makoさんへ。

    返信
    1. 浮浪さんはおそらく私の以前の記事を読まれて、しかしそこへのコメントは現在許可されていないので、こちらに書かれたのでしょう。

      いまから4年ほど前に書いたその記事では私もなんとかロジカルに説明しようとしていました。それからずいぶん時間が経って、ちょうどこの記事で言及したような主張を見つけたりして、今では、そもそもこの問題をロジカルに扱おうとすることがナンセンスだと思うようになりました。

      浮浪さんの論理展開のここがおかしいというところはありますが、それは以前の記事に膨大に付いているコメントのどれかと本質的に同じで既に言及済みであることもあり、それについて今さらあれこれ言う気は私にはもうないのです。

      もういちどここの記事と、ここで言及しているリンク先(英語ですが)をよく読んでいただきたいです。

      返信
      1. Makoさんへ。

        ゆっきーさんへの返信の中で書いたように、「多くの問い合わせが各教育委員会に行くような事態は防ぎたい」のが私(浮浪)の目的です。
        Makoさんが今でも県教育委員会に問い合わせをしているかどうかは存じませんが、そのような行為はお止めください。

        いろいろと残念なところはありますが、Makoさんが「2a÷(2a)と括弧を使うべきだ」と考えることや、ご自身がそう表記することは自由です。
        今さらあれこれ言ってもらいたいわけでもありません。

        ですが、実際に県教育委員会に問い合わせをしたり、「少なくとも今回のような問題は「悪問」として、入試では避けよう、となるかもしれません」などと、問い合わせを促したりするような行為は、まじめに検討して回答せざるを得ない県教育委員会の担当者への嫌がらせにしかならないことは、ご理解いただきたいです。

        Makoさんが、この場所への書き込みに対して「まじめに検討して回答せざるを得ない」としたらどうなるか。
        嫌がらせにしかならないとは思いませんか?

        返信
  6. 浮浪さんへ、返信ありがとうございます。

    >は、引用文です。

    それは分かっているのですが、
    そんな長い説明は要らない、ということを言いたかったのです。
    分かりづらくてすみません。
    (知恵袋の受け売りですが)

    >1.かけ算とわり算の優先順位は同列である
    >2.かけ算の記号(×)は省略できる。ab は a×b と同じ
    >3.2a÷2a=1 である

    この、
    >1.かけ算とわり算の優先順位は同列である

    >1.×記号と÷記号の優先順位は同列である
    と解釈するだけで、2a÷2a=1 になると思います。

    返信
    1. ゆっきーさんへ。

      >>そんな長い説明は要らない、ということを言いたかったのです。

      そういうことでしたか。少々誤解をしてしまったかもしれません。すみません。

      >>1.×記号と÷記号の優先順位は同列である
      >>と解釈するだけで、2a÷2a=1 になると思います。

      私(浮浪)が言うのもなんですが、Makoさんは、
      「×記号と÷記号の優先順位は同列である」から、2a÷2a=2×a÷2×aとも解釈できる
      と主張していらっしゃるのではないかと思っています。

      もしかすると、私(浮浪)は、ゆっきーさんがおっしゃる
      >>>1.かけ算とわり算の優先順位は同列である
      >>を
      >>>1.×記号と÷記号の優先順位は同列である
      >> と解釈するだけで
      の意味を正しく捉えられていないのかも知れません。

      でも、それで 2a÷2a=1 にしかならないとMakoさんに納得していただけるのであれば何もいうことはありません。

      私(浮浪)が、何故こんな書き込みをしたのか。

      実際に、県教育委員会に問い合わせをしたという事実をはじめて知り、「いくらなんでも、それはやり過ぎだろう」と思ったことが発端です。
      「凸電」だか「電凸」だか分かりませんが、そういう方々がいるのも事実です。

      「ネットでああだこうだ言っていても、それだけで中学校の授業や高校入試の状況に影響を与えるのはなかなか難しいでしょう。しかし、高校入試というのはたいへんいい機会です。今回のように新聞に発表されますし、問い合わせれば出題ミスの可能性がある限り、まじめに検討して回答せざるを得ません。多くの問い合わせがあれば、各教育委員会からさらに本省のほうへ問い合わせが行くようになるかもしれません。少なくとも今回のような問題は「悪問」として、入試では避けよう、となるかもしれません。」
      というMakoさんの意見に触発されて、多くの問い合わせが各教育委員会に行くような事態は防ぎたいと思ったからです。

      まじめに検討して回答せざるを得ない県教育委員会の担当者が不憫でなりません。

      返信ありがとうございました。

      返信
  7. 浮浪さんへ、返信ありがとうございます。

    >でも、それで 2a÷2a=1 にしかならないとMakoさんに納得していただけるのであれば何もいうことはありません。

    私も同感ですが、某サイトによると、
    Makoさんは聞く耳を持たないので、書いても無駄とのことです。

    >まじめに検討して回答せざるを得ない県教育委員会の担当者が不憫でなりません。

    クレーマーですよね。^^
    これから書くことも某サイトの受け売りなのですが、

    2a÷2a はどう考えても「2aを2aで割る」という意味です。
    それなのに、Makoさんは

    >2.かけ算の記号(×)は省略できる。ab は a×b と同じ

    を理由に、「2」と「a」の間には「×記号」があるのだから
    左側の「÷記号」が優先される、と言っているのだと思います。

    でも、「「×記号」は省略できる」といっても、
    どこでも省略できるわけではないです。

    Makoさんが言っているように、どこでも「×記号」を省略でき、
    a÷b×c = a÷bc のようにできるとしたら
    a÷b×2 = a÷b2 のように「×記号」を省略できることになります。

    a÷b2 なんて、誰が見てもおかしいと分かることです。

    しかもこの b2 は単項式なのですから、数字を先に書くことになり
    a÷b×2 = a÷b2 = a÷2b になって意味が変わってしまいます。
    なので、a÷bc は a÷b×c のことではないことは明らかです。

    Makoさんが、どこでも「×記号」を省略でき、
    a÷b×2 = a÷b2 のようにもできると本気で思っているのなら、
    きっと数学が苦手な人なのだと思います。

    浮浪さんも、そう思いませんか?

    Makoさんは聞く耳を持たない人とのことですが、
    このことについて、Makoさんがどう思っているのか、教えてほしいです。

    返信
    1. ゆっきーさんへ。

      Makoさんは、冒頭に記してあるように、「ab÷ab を ab÷(ab) と書きさえすれば誰もあいまいだとは思わない。括弧を付けて不都合はない。括弧を使うべきだ。」と思っているだけなんだろうと思います。

      いろいろな意味で、少々可哀想な気もしないわけではありませんが、Makoさんがそう考えることは自由ですので、それを妨げるつもりはありません。
      ただし、県教育委員会に問い合わせをしたりするような行為は止めていただきたい、というだけです。

      Makoさんの「ab÷ab を ab÷(ab) と書きさえすれば誰もあいまいだとは思わない。括弧を付けて不都合はない。括弧を使うべきだ。」という主張が、
      ・「a÷bc は a÷b×c のことではないのは明らか」ではない
      ・どこでも「×記号」を省略でき、a÷b×2 = a÷b2 のようにもできる
      といった主張につながってしまいますよと言っても、それには耳を貸さないふりをしているように感じます。

      すぐには「a÷bcはa÷b×cのことではないのは明らか」と思えない人でも、a÷(bc)と括弧を付けることにすれば安心できるので、バリアフリーの意味で括弧を付けませんか。
      ということなら、共感できなくもないんですけどね。

      あの長い説明は、
      もしも中学生に「2a÷2aは2a÷(2a)とかくべきじゃないですか?」と問われたら、どう説明しようかな。
      そう考えてみた結果でした。残念ながら、Makoさんには通じなかったようですが。

      コメント、ありがとうございました。

      返信
      1. 浮浪さんへ。返信ありがとうございます。

        >・どこでも「×記号」を省略でき、a÷b×2 = a÷b2 のようにもできる
        >といった主張につながってしまいますよと言っても、
        >それには耳を貸さないふりをしているように感じます。

        この「それには耳を貸さないふりをしている」というのは、

        Makoさんが実際に、
        「どこでも「×記号」を省略でき、a÷b×2 = a÷b2 のようにもできる」
        と思っているということでしょうか?

        それとも、Makoさんが
        「どこでも「×記号」を省略でき、a÷b×2 = a÷b2 のようにもできる」
        を否定してしまうと、間違いを認めたことになってしまうので、
        耳を貸さないふりをしている。
        つまり、Makoさんは間違いに気づいているということでしょうか?

        >すぐには「a÷bcはa÷b×cのことではないのは明らか」と思えない人でも、a÷(bc)と括弧を付けることにすれば安心できるので、バリアフリーの意味で括弧を付けませんか。
        >ということなら、共感できなくもないんですけどね。

        それには、共感するべきではないと思います。

        国外では、a÷bc=a÷(bc) と常識的に解釈しているのに、
        日本人だけ、a÷(bc) と書かれていなければ、
        そう解釈できないなんて、恥ずかしくないですか?

        返信
        1. ゆっきーさんへ。

          もちろん断言などできませんが、「Makoさんは間違に気付いている」だろうと思っています。
          でもそれは、私(浮浪)が、「そうであってほしい」と思っているだけかも知れません。

          >>それには、共感するべきではないと思います。

          はい、それもよくわかります。

          >>国外では、a÷bc=a÷(bc) と常識的に解釈しているのに、
          >>日本人だけ、a÷(bc) と書かれていなければ、
          >>そう解釈できないなんて、恥ずかしくないですか?

          恥ずかしいし、情けないです。

          ただ、日本にMakoさんのような方がいるという事実の前に、「もしかすると、国外にもいるかも知れないな」とは思います。

          「日本にしかいない(日本人だけ)」では、恥ずかしすぎるし、情けなさすぎます。

          多種多様な間違いをしてくれる生徒をイメージしているからかも知れません。
          「括弧を付けるだけで間違いがなくなるなら、どうぞ」です。
          現実には、そんなことで間違いがなくなりはしません。
          例えば、「括弧をはずす」と言うと、はずすと無くなるからなのか、括弧を消すだけの生徒もいるのが現実ですから。

          非常にこだわりの強い生徒が「a÷(bc)でなければダメだ!」と主張したとしたら、まずは「うん、そうだね」と共感してあげてもいいだろう、と思った次第です。
          もちろん、それで教育委員会に問い合わせをするとなれば、共感などできません。

          返信、ありがとうございました。

          返信
  8. 浮浪さんへ。
    返信ありがとうございます。

    >もちろん断言などできませんが、「Makoさんは間違に気付いている」だろうと思っています。
    >でもそれは、私(浮浪)が、「そうであってほしい」と思っているだけかも知れません。

    「Makoさんは間違に気付いている」のに、教育委員会にクレームを入れていると思っているのですよね?
    だとしたら、Makoさんは完全にヤバい人です。何を書いても無駄です。

    ではなくて、Makoさんが「どこでも「×記号」を省略でき、a÷b×2 = a÷b2 のようにもできる」と思っているとしたら、書く意味はあると思います。
    でも、聞く耳を持たないのなら、どちらにしても何を書いても無駄ということになりますが。笑

    Makoさんは「どこでも「×記号」を省略でき、a÷b×2 = a÷b2 のようにもできる」と思っているんでしょうかね?だとしたら、数学的センスを疑いたくなります。

    >「括弧を付けるだけで間違いがなくなるなら、どうぞ」です。

    教育の目的は、「必要なことを教える」ことではなくて、
    「間違いを無くす」ことなのでしょうか?

    そもそも、a÷bc は「aをbcで割る」という意味である。
    これってそんなに難しいことですか?
    ものすごく簡単なことだと思いませんか?

    日本の生徒は、
    こんな簡単なことも分からないような奴ばかりなので、
    カッコを付けて分かりやすくしてあげなければならない。

    日本の教育は、その程度のレベルだと思いますか?

    返信
  9. ゆっきーさんへ。

    >>日本の教育は、その程度のレベルだと思いますか?

    そんなふうには微塵も思っていません。

    ・a÷bc は「aをbcで割る」という意味で、ものすごく簡単なこと。
    はい、簡単なことです。

    簡単なことではありますが、次のような状況にあるのも事実です。

    ○「5x-xを計算しなさい」の正答率は85.7%(『平成27年度全国学力・学習状況報告書』より)
    見た目でxをひくという「5」と解答した生徒が4.2%(30人学級なら学級に1人はいる)

    ○「10xy÷5xを計算しなさい」(a÷bcに該当する計算でも、誤答の少ないタイプ)の正答率は91.0%(『平成26年度全国学力・学習状況報告書』より)
    そして、Makoさんが主張するような2x^2yと解答した生徒が2.9%(40人学級なら学級に1人はいる)

    この2.9%の生徒が、10×x×y÷5×xとしたかどうかはわかりません。
    そうした結果にはなっていますが、5x-x=5としてしまう生徒が4.2%ですので、「なんとなく見た目で、それらしいことを書いただけ」かもしれません。

    >>日本の生徒は、こんな簡単なことも分からないような奴ばかりなので、

    なぜ、そういうことになるのか、分かりません。
    「5x-xを計算しなさい」や「10xy÷5xを計算しなさい」ができない生徒もいるというだけのことです。
    そうしたできない生徒のことを念頭において(そうした生徒への指導場面を想定して)、「括弧を付けるだけで間違いがなくなるなら、どうぞ」です。

    同様に、5x-x=5としてしまう生徒への指導場面を想定すれば、「xを1xとするだけで間違いがなくなるなら、どうぞ」です。
    非常にこだわりの強い生徒が「5x-1xでなければダメだ!」と主張したとしたら、まずは「うん、そうだね」と共感してあげてもいいだろう、そう思っています。

    コメント、ありがとうございました。

    返信
      1. 浮浪さんへ。
        返信ありがとうございます。

        私が言っているのは、a÷(bc) で教えてしまうと、
        カッコが無い a÷bc の場合は、
        どう計算して良いのか分からない大人になってしまう。

        同じく、5x-1x で教えてしまうと、5x-x の場合は、
        どう計算して良いのか分からない大人になってしまう。

        テストの点数を上げるために、
        そんな大人にしても良いのか?、ということです。

        a÷bc は、a÷(bc) のことであること、
        5x-x は、5x-1x のことであることを教えるのが
        教育ではないでしょうか?どう思いますか?

        それにしても、Makoさんへの返信に対する、
        Makoさんからの返信が無いようですね。
        噂どおり、何の説明もしないで、逃げ回る人だったようです。

        返信
        1. ゆっきーさんへ。

          この場所はMakoさんが開放している場所ですし、そろそろ書き込みを終わりにしようと思っていました。

          >>a÷bc は、a÷(bc) のことであること、
          >>5x-x は、5x-1x のことであることを教えるのが
          >>教育ではないでしょうか?どう思いますか?

          そう思いますよ。
          そう思っていないように思われたのでしょうか、ちょっぴり残念です。

          5x-xは5x-1xのことであることを教えていない教師なんていない、そう思っています。
          ですが、5x-xができない生徒がいます。
          できるような「見方・考え方」を伝えたいとは思いますが、できないからダメだとは思いません。

          私の好きな文章の一つ、「間違いに学ぶ」を紹介して最後にします。

          子ども達が,何か誤った判断を下したなら,それは,彼等の無知のためではなく,彼等が,カシコイためであることに留意せよ。
          彼等が間違えたのは,何かそこに彼等の判断を間違えさせるような事情があったからだ。
          彼は,賢いが故にその〈事情〉に注目し,そして間違えたのだ。
          その〈事情〉に気付きもしない愚か者とその〈事情〉の背後の事情までも見通した賢人だけが,間違わずにすむのだ。(馬鹿と天才は紙一重)
          だから子ども達が間違えたら,彼等を笑ったり,叱ったりするのは最も愚かなことである。
          彼等がなぜ,間違えたのか,その理由が教師にわからないとすれば,少なくとも,その子どもは,その理由を知っているということで,教師より知恵者なのだ。
          だから,そのようなとき教師は彼等から学ばなければならない。
          彼等がどんな経験を持ちそれらの経験をもとに,どんな類推や想像をすることができたのか,そのことを知らねばならぬ。
          教師の発問そのものが,二義的にとれるようなときだって少なくないのだ。
          教師が子ども達を笑ったり叱ったりする,まことに,愚かなことだ。
          しかし教師の教師たらんとする者は,そのような教師を笑ったり叱ったりできないはずだ。
          教師の教師も学ばねばならない。

          これが最後になると思います。ありがとうございました。

          返信
          1. 浮浪さんへ。
            返信ありがとうございます。

            >そう思っていないように思われたのでしょうか、ちょっぴり残念です。

            とのことですが、

            >「括弧を付けるだけで間違いがなくなるなら、どうぞ」
            >「xを1xとするだけで間違いがなくなるなら、どうぞ」

            と書いているんだから、a÷bc や 5x-x の意味を教えなくて良いと言っているとしか思えません。

            ★『日本人は、a÷bc や 5x-x の意味が分からなくても構わない』

            浮浪さんがそのように思っていることは良く分かりました。
            ありがとうございました。

            ちなみに、浮浪さんは、この「間違いに学ぶ」は、
            「a÷bc を a÷b×c のように間違える生徒はカシコイ」と判断して放置する、
            ということを言っていると思っているのでしょうか?
            だとしたら驚きです。

            >彼等が間違えたのは,何かそこに彼等の判断を間違えさせるような事情があったからだ。

            おそらくこれを、「間違えた原因を回避する」と解釈して、
            「a÷bc を a÷(bc) のように教える」と言っているのですよね?

            「間違いに学ぶ」は、そんなことは言ってないですよ?
            「頭ごなしに教えるのではなく、
            間違えた原因を考えた上で、何が間違っているのかを教える」
            ということを言っているのです。

            そう読めないとしたら、浮浪さんの読解力を疑います。

            返信
  10. 小学生だった頃、教師の裁量で減点され、辛酸を舐めた事を思い出しました。
    私も筆者様と同意見で、記号省略には複数通りの解釈が存在するという前提を持たないま議論したり、自分とは別の解を出した人を排斥することに躍起になってる人々を見ていると興味が削がれる、というか関わり合いになりたくないです。

    当該問題を便宜上、不完全な数式と呼称します。きっと私を減点した教員は、不完全な数式を理解できない方だったのでしょう。そして、不完全な数式を理解できないま、あるいは目を背けて教鞭をふるっている者がいる蓋然性は極めて高いです。

    私には子供が3人いるので、こういった悪辣な教員の何人かを「法学的なアプローチ」を交えて矯正したいと常々思っていたのですが、まだ悪辣な教員に出会って無いので今日はこの辺で。

    新規性のある論点だと感じて頂けたのであれば、返信頂けると幸いです。

    返信

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